まるんた、だー。 本当はマイケルソン氏モーリー氏mm実験そのもので次のことがわかっただけっす。
「光による等距離間の往復時間は、エーテルが有っても無くても 地球の自転公転が加味されてても、どの方向にも同じ往復時間だ。」
ってことが検証された。つまり光は球面波ってことが検証されただけっす。
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まるんたの興味は。当時の学者たちがmm実験によってみんな自論を間違えて"いった"のはなぜか?なのさのさ。 その間違いってのは。
実験前の仮説段階で
「エーテル(光伝播媒体空間と地球との速度差)の有無の確認を期待したが、間違いだった。後になってこの実験ではエーテルは原理的に感知できないとわかった。」
実験後の発表で
「明確な差は得られなかったという発表はxy軸方向で光速に差はなかったという意味だった。が。
ある人たちはエーテルが無いと早とちりした。
ある人たちはエーテルや自転公転も見かけの光速度を変化させなかったと聞き間違えた。」
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しかしまあ何でエーテルを検証できるなんて早とちりしたんでしょうか。何で光速について聞き間違えたんでしょうか。
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これらの早とちりと聞き間違いを見事にそのまま原理として立ててしまった(光速度不変の原理)。
そりゃー無理も無いでしょう。当時の人にすれば厳然たる実験結果ってことになってしまってたのだから。
さて、だから、本当ならば、エーテル有る論と無い論の2仮説が論争してたりするはずなのに。
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ところで、私まるんたは 思うのですが。
当時の勘違いのまま今に至り 1論にまとめてしまおうとして、生み出されてきました相対性理論群たち。
それが思考の中でだけしか成立しない理論であればあるほど、その理論に、芸術を 感じてしまうのですよ私まるんたは。
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人の精神活動によって創られた何かが、誰かを刺激して。なんらかの情緒を感じさせる、人の精神活動を促す。
一編の論は 一編の楽曲と そん色ないっす。科学は芸術っすね、はい。
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