仮に人間をコピーすることが出来たとして・・・
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ある時の自分を構成している分子配置を全て記録しそれをそのまま、転写することが出来れば、
おそらく考えていることすら寸分違わぬほどの再現度で自分のコピーを作ることが出来る。
原始分子を支配する法則が分かっていれば、現実の原始を使わずとも、シミュレーション上で、自分を再現
することすら可能になる。つまりもはや実体は必要なく再現できるスペックのコンピュータがあればよいことになる。
少し話はそれたが、自分を転写できたとしてだよ、「自分は今の自分」が2人以上簡単に出来るわけだよ。
それでさ今はオリジナルの方に話を限定するとだよ、コピーは出来ている、自分は間違いなくそっちに(も)いる。
だから自分は死んでもOK。とはならないだろ?
コンピューターの中で永遠に生きれるからといわれてもオリジナルは、俺はコンピューターには入ってない。
そんな世界ちっとも実感できないっていいはるだろう。事実そうだし。
でもコンピュータに入ったほうは間違いなくコンピュータの世界を体感している。
どっちか一人しか生き残れないとなったら間違いなく争いが起きるよね。
これってどうなの?自分はコンピュータに入れたからOKとみなせるのか?それとも入れてないのか?
例え自分が何人できようと、体感できるのは一人なんだからそんな技術あっても意味ないような気がしない?
この問題を考えると宇宙の外はどうなってるのか?という問題の次くらいに頭が混乱するのです。

おそらく考えていることすら寸分違わぬほどの再現度で自分のコピーを作ることが出来る。
原始分子を支配する法則が分かっていれば、現実の原始を使わずとも、シミュレーション上で、自分を再現
することすら可能になる。つまりもはや実体は必要なく再現できるスペックのコンピュータがあればよいことになる。
少し話はそれたが、自分を転写できたとしてだよ、「自分は今の自分」が2人以上簡単に出来るわけだよ。
それでさ今はオリジナルの方に話を限定するとだよ、コピーは出来ている、自分は間違いなくそっちに(も)いる。
だから自分は死んでもOK。とはならないだろ?
コンピューターの中で永遠に生きれるからといわれてもオリジナルは、俺はコンピューターには入ってない。
そんな世界ちっとも実感できないっていいはるだろう。事実そうだし。
でもコンピュータに入ったほうは間違いなくコンピュータの世界を体感している。
どっちか一人しか生き残れないとなったら間違いなく争いが起きるよね。
これってどうなの?自分はコンピュータに入れたからOKとみなせるのか?それとも入れてないのか?
例え自分が何人できようと、体感できるのは一人なんだからそんな技術あっても意味ないような気がしない?
この問題を考えると宇宙の外はどうなってるのか?という問題の次くらいに頭が混乱するのです。

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>>29さん >>30さん 私の想像に付き合ってくれてありがとう
>いや区別は可能だが別人とまで言うのはどうだろう。
これに行く前に これから
>自分をコピーできる技術は夢の技術かどうか?
>別々の固体になってからの経験を共有できるわけではない。これは意見が分かれるのではないだろうか。
これも想像の範囲を超えないのだけど記憶の伝達や海馬に刻むという事が分かっている限り『不可能』ではないかもしれません
正しそれは『記憶』の『記録』であって『意思』ではありません すなわち『記録』した時点までの『記憶』でしかないのですから。
だから、もしその技術が可能と仮定して存在したと仮定したとしても
片方の経験・記憶をコピーし続けている間は単なる記憶装置でしかないのだからです
記憶というのは経験であってその経験を作るのが意思ということ、その記憶のメカニズムをすっとばしている時点でそこに意思が無い
当然と言えば当然なのですが常に上書きされてる状態にそこに『意思』が存在できる事は考えにくいよね。
しかし、ここで注意が必要なのですが30さんの言うところの『共有』は可能かと言う話。
私が書き込んだ内容として付け加えるとあくまで複製・上書きを遮断した状態でそこに意思が存在し初めてそれが物理的生物であれ
機械的であれそれはもう『生命』だろうと思います。
だから共有といのであればそれは出来ないのではなく『出来ます』何故なら遮断する以前の記憶は共有しているのだから。
それ以降の状況判断が必ずしも一致しないだろうという発想です ゲームの話でありましたねこう言うの^^ STEINS;GATEだったけ?
記憶だけを取り出して上書きしたとしても判断は同じにならない 所謂他世界解釈です。
もし過去の自分を見る事が出来た場合(この時点では紛れも無く『自分』)ですが これに記憶の上書きを行なったとして
その時点でもその時代・時間軸においてオリジナルはその経験値を保有していないのだからそれはもう『自分』では無く自分に似た者なのですから
つづき・・・
>いや区別は可能だが別人とまで言うのはどうだろう。
これに行く前に これから
>自分をコピーできる技術は夢の技術かどうか?
>別々の固体になってからの経験を共有できるわけではない。これは意見が分かれるのではないだろうか。
これも想像の範囲を超えないのだけど記憶の伝達や海馬に刻むという事が分かっている限り『不可能』ではないかもしれません
正しそれは『記憶』の『記録』であって『意思』ではありません すなわち『記録』した時点までの『記憶』でしかないのですから。
だから、もしその技術が可能と仮定して存在したと仮定したとしても
片方の経験・記憶をコピーし続けている間は単なる記憶装置でしかないのだからです
記憶というのは経験であってその経験を作るのが意思ということ、その記憶のメカニズムをすっとばしている時点でそこに意思が無い
当然と言えば当然なのですが常に上書きされてる状態にそこに『意思』が存在できる事は考えにくいよね。
しかし、ここで注意が必要なのですが30さんの言うところの『共有』は可能かと言う話。
私が書き込んだ内容として付け加えるとあくまで複製・上書きを遮断した状態でそこに意思が存在し初めてそれが物理的生物であれ
機械的であれそれはもう『生命』だろうと思います。
だから共有といのであればそれは出来ないのではなく『出来ます』何故なら遮断する以前の記憶は共有しているのだから。
それ以降の状況判断が必ずしも一致しないだろうという発想です ゲームの話でありましたねこう言うの^^ STEINS;GATEだったけ?
記憶だけを取り出して上書きしたとしても判断は同じにならない 所謂他世界解釈です。
もし過去の自分を見る事が出来た場合(この時点では紛れも無く『自分』)ですが これに記憶の上書きを行なったとして
その時点でもその時代・時間軸においてオリジナルはその経験値を保有していないのだからそれはもう『自分』では無く自分に似た者なのですから
つづき・・・
でも疑問もあります。母体が機械(コンピューター)の場合、複製を2台以上行なったとして その状態で同じ環境を再現した場合
恐らく記憶の読み出しや経験の判断は同じになるのでこの2台は同じ行動を取ると思われます しかしその場合は意思と呼べるのか?
で私はそれは生命では無いのでは? とも考えます。
それを踏まえて29さんの意見を考えますと おおざっぱに例えちゃいます 兄弟または友人と同じ経験と記憶する部分があるとします(厳密には違うけど)
言わば体験ですが でも明らかに別人ですよね それを何で判断するかです。消去法で考えてみると
体が同じだった場合はどうか?とかどこで別人から同人と変わるのか?です。
そう考えればコピーされ続ける上書きされてる時点では確かに同じ者(正し生命とは言えない)ですが
そこに個別の意思が生まれた時点で別人だと思います。
想像するともし自分の複製過去の記憶を持った者・物と会話が成立してしまった場合、そこに確実に『意思』が存在してしまっているからです。
空想や非現実な話かはたまた現実染みた話なのかは別として想像して見る事は楽しいことですね^^
自分で書いてても読み返せばあれ?って矛盾が生じてる部分がありますしね それを考え出すとパニ食って何時までも返信レスできないので
大まかな私の想像って事でお許しを^^;
恐らく記憶の読み出しや経験の判断は同じになるのでこの2台は同じ行動を取ると思われます しかしその場合は意思と呼べるのか?
で私はそれは生命では無いのでは? とも考えます。
それを踏まえて29さんの意見を考えますと おおざっぱに例えちゃいます 兄弟または友人と同じ経験と記憶する部分があるとします(厳密には違うけど)
言わば体験ですが でも明らかに別人ですよね それを何で判断するかです。消去法で考えてみると
体が同じだった場合はどうか?とかどこで別人から同人と変わるのか?です。
そう考えればコピーされ続ける上書きされてる時点では確かに同じ者(正し生命とは言えない)ですが
そこに個別の意思が生まれた時点で別人だと思います。
想像するともし自分の複製過去の記憶を持った者・物と会話が成立してしまった場合、そこに確実に『意思』が存在してしまっているからです。
空想や非現実な話かはたまた現実染みた話なのかは別として想像して見る事は楽しいことですね^^
自分で書いてても読み返せばあれ?って矛盾が生じてる部分がありますしね それを考え出すとパニ食って何時までも返信レスできないので
大まかな私の想像って事でお許しを^^;
長いレスご苦労さんだけど、俺が聞きたかったのは共有の可能か不可能とか、別人か別人でないかではなく、コピーできる技術は夢の技術かどうかです。
もう少し噛み砕いて言うと、コピー技術があったならあなたはどう使いますか?
ってかんじかな。
例えばこんな話はどうかな。
毎日寝る前に自分の分子構造を、コンピュータに記憶させておく。
そして不慮の事故などが起きて自分が死んでしまった場合は、記憶させておいた自分を再現して起動させる。これで突然の事故によりもたらされる様々なトラブル、不幸を心配しなくてもよいわけだ。家族を路頭に迷わすことも悲しい思いをさせることも無くてすむ。
めでたしめでたし。と思いますか?
自分が事故で死んで、再起動が動き出した場合、自分は死んだの?それとも生きてるの?
どう答える?
コピーが可能になった場合こんな問題が山ほど浮かんでくる。
もう少し噛み砕いて言うと、コピー技術があったならあなたはどう使いますか?
ってかんじかな。
例えばこんな話はどうかな。
毎日寝る前に自分の分子構造を、コンピュータに記憶させておく。
そして不慮の事故などが起きて自分が死んでしまった場合は、記憶させておいた自分を再現して起動させる。これで突然の事故によりもたらされる様々なトラブル、不幸を心配しなくてもよいわけだ。家族を路頭に迷わすことも悲しい思いをさせることも無くてすむ。
めでたしめでたし。と思いますか?
自分が事故で死んで、再起動が動き出した場合、自分は死んだの?それとも生きてるの?
どう答える?
コピーが可能になった場合こんな問題が山ほど浮かんでくる。
生物がなぜ死を恐れ、生に執着するかというと、それは死んでしまったら、子孫を残せないか
ら。自分の遺伝子を後に残せない。それに子供がいたとしても、それは自分ではなく、自分の
半分の遺伝子を残したに過ぎない。どの個人も死は怖い。死んだらそこで終わりだから。
ただコピーが可能になると、この前提が崩れてしまう。
仮にコピー体と区別が出来たとしても、遺伝子では100%、分子もタンパク質もある時点では100%、自分と同じものが残せるのだから。死を怖いと思わない投げやりな固体だって生きなが
らえる。その時人間の体に宿った自我という機能はどう変化していくことになるのか?
もはや自我として、常に自分を一人の人間と終始一貫した自我、自己、記憶を持つ必要がなく
なるのではないか?そうとも思ってしまう。
ら。自分の遺伝子を後に残せない。それに子供がいたとしても、それは自分ではなく、自分の
半分の遺伝子を残したに過ぎない。どの個人も死は怖い。死んだらそこで終わりだから。
ただコピーが可能になると、この前提が崩れてしまう。
仮にコピー体と区別が出来たとしても、遺伝子では100%、分子もタンパク質もある時点では100%、自分と同じものが残せるのだから。死を怖いと思わない投げやりな固体だって生きなが
らえる。その時人間の体に宿った自我という機能はどう変化していくことになるのか?
もはや自我として、常に自分を一人の人間と終始一貫した自我、自己、記憶を持つ必要がなく
なるのではないか?そうとも思ってしまう。
>コピーできる技術は夢の技術かどうかです。
これは>>31の
>記憶の伝達や海馬に刻むという事が分かっている限り『不可能』ではないかもしれません
>正しそれは『記憶』の『記録』であって『意思』ではありません
が返答のつもりだったのだけど^^;
>例えばこんな話はどうかな。
私が思うにそれは『視点』の違いにしか過ぎないと思いますよ。
何故なら>これで突然の事故によりもたらされる と言う様に片方の情報が遮断されてしまっているからです。
だからそれ以降もし生きていた場合と記憶とまたは体を複製した状態の者を起動させたとしてそれが『本人』『オリジナル』と言えるでしょうか?
オリジナルは間違いなく消滅してしまっているのだから・・・
それを認識してるのは取り巻く環境、すなわちオリジナルと接点を持った者の認識でしかないのです。
その第三者は当然遮断された方が生きていた場合の行動は想定出来るわけもない だから過去の記憶を共有してる部分で
本人と認識してるだけです。過去も遮断された後も接点のある部分で経験を共有していくのだから
でも33さんの言うところの>自分は死んだの?それとも生きてるの? なのですが
私の言う『意識』と言う部分これは霊的発想でもない限り移すまたは複製は不可能だと考えます。
それは先ほど(前レス)語ったようにバックUP状態では自我が存在せず遮断された時点で意思を持てば それは過去の記憶だけを共有した別人だからです。
だからコピーはどこまで行ってもコピーなわけでオリジナルではありません。
鏡を想像して見て下さい 左右反転はこの際無視して あれがバックアップ装置だと考えて見て下さい
寸分狂わぬ同じ行動を複写していますね だけどその者と会話が成立しますか? しませんよね同じ事を複写するだけです。
だから写しているその者が消えて(存在しなくなる)しまえば鏡の中の人物も消えてしまいます。
ただそこまでの情報で復元してもそれはもう別の何か? なのです。
これは単なる感情論になってしまいますが、そのオリジナルと接点を持つものが連続的に認識してる部分で見れば存続して生きている事になるでしよう
でも厳密にはオリジナルは消えてしまってその未来の行動は誰も認識できないという事です。
これは>>31の
>記憶の伝達や海馬に刻むという事が分かっている限り『不可能』ではないかもしれません
>正しそれは『記憶』の『記録』であって『意思』ではありません
が返答のつもりだったのだけど^^;
>例えばこんな話はどうかな。
私が思うにそれは『視点』の違いにしか過ぎないと思いますよ。
何故なら>これで突然の事故によりもたらされる と言う様に片方の情報が遮断されてしまっているからです。
だからそれ以降もし生きていた場合と記憶とまたは体を複製した状態の者を起動させたとしてそれが『本人』『オリジナル』と言えるでしょうか?
オリジナルは間違いなく消滅してしまっているのだから・・・
それを認識してるのは取り巻く環境、すなわちオリジナルと接点を持った者の認識でしかないのです。
その第三者は当然遮断された方が生きていた場合の行動は想定出来るわけもない だから過去の記憶を共有してる部分で
本人と認識してるだけです。過去も遮断された後も接点のある部分で経験を共有していくのだから
でも33さんの言うところの>自分は死んだの?それとも生きてるの? なのですが
私の言う『意識』と言う部分これは霊的発想でもない限り移すまたは複製は不可能だと考えます。
それは先ほど(前レス)語ったようにバックUP状態では自我が存在せず遮断された時点で意思を持てば それは過去の記憶だけを共有した別人だからです。
だからコピーはどこまで行ってもコピーなわけでオリジナルではありません。
鏡を想像して見て下さい 左右反転はこの際無視して あれがバックアップ装置だと考えて見て下さい
寸分狂わぬ同じ行動を複写していますね だけどその者と会話が成立しますか? しませんよね同じ事を複写するだけです。
だから写しているその者が消えて(存在しなくなる)しまえば鏡の中の人物も消えてしまいます。
ただそこまでの情報で復元してもそれはもう別の何か? なのです。
これは単なる感情論になってしまいますが、そのオリジナルと接点を持つものが連続的に認識してる部分で見れば存続して生きている事になるでしよう
でも厳密にはオリジナルは消えてしまってその未来の行動は誰も認識できないという事です。
>ただコピーが可能になると、この前提が崩れてしまう。
それともう一つ付け加えるとするなら これは極答えは簡単です。
貴方が今その仮定に置かれた場合どう思う・感じる・行動するかです。
その前提すら定かで無いのですよ それがオリジナルであって
『意思』というものです。
それともう一つ付け加えるとするなら これは極答えは簡単です。
貴方が今その仮定に置かれた場合どう思う・感じる・行動するかです。
その前提すら定かで無いのですよ それがオリジナルであって
『意思』というものです。
それはおかしいな。
ではこれはどうか?
ある環境において一人の同じ人間がどんな行動をとるか?
環境は出来る限り同じにして複数回その人間の行動を観察する。
当然だが本人はどれ一回として、厳密に同じ行動はとらない。
なのになぜその人間を同じ人間といえるのか?
1年たてば人間の中の分子は全て口から取り入れた別の分子に置き換わるのになぜ同じ自分といえるのか?
またコピーする時にブラックボックスでコピーしたらどうなる?
当然周囲も、本人たちですらコピー、複製の区別はつかないよ?
区別は出来ても別物ではない。
もし複製とオリジナルを別人というのならば、今の自分と数秒後の自分は別人であって一貫性など無くてもよいという話になる。
自然界の情報は連続的であって環境変数をいくらいじって同じようにしようとしても同じには絶対出来ない。
例えば水にたらしたインクはどれ一つとして、同じようには広がらない。
それでも全体としては統率の取れた動きをする。
それから広がる速度を計算することもできるしある定点での濃度も予想に反することは無い。
同じ温度成分比の水に同じ種類のインクを同じ条件で落とすと、ある法則に従う。
それはどこの実験室で行っても同じだ。この法則に従う限りこれは厳密には同じ事象でなくとも、同じ試行とみなすことが出来る。
本人か別人かの区別もその程度のものだろ。
同じ遺伝子で同じ経験を所有していれば同一人物だろう。
>>その第三者は当然遮断された方が生きていた場合の行動は想定出来るわけもない だから
過去の記憶を共有してる部分で本人と認識してるだけです。
親しい人間の行動はある程度想定できるものです。
本人と認識していることと、本人とどう違うのか?
認識できればもはや本人ではないか?
ではこれはどうか?
ある環境において一人の同じ人間がどんな行動をとるか?
環境は出来る限り同じにして複数回その人間の行動を観察する。
当然だが本人はどれ一回として、厳密に同じ行動はとらない。
なのになぜその人間を同じ人間といえるのか?
1年たてば人間の中の分子は全て口から取り入れた別の分子に置き換わるのになぜ同じ自分といえるのか?
またコピーする時にブラックボックスでコピーしたらどうなる?
当然周囲も、本人たちですらコピー、複製の区別はつかないよ?
区別は出来ても別物ではない。
もし複製とオリジナルを別人というのならば、今の自分と数秒後の自分は別人であって一貫性など無くてもよいという話になる。
自然界の情報は連続的であって環境変数をいくらいじって同じようにしようとしても同じには絶対出来ない。
例えば水にたらしたインクはどれ一つとして、同じようには広がらない。
それでも全体としては統率の取れた動きをする。
それから広がる速度を計算することもできるしある定点での濃度も予想に反することは無い。
同じ温度成分比の水に同じ種類のインクを同じ条件で落とすと、ある法則に従う。
それはどこの実験室で行っても同じだ。この法則に従う限りこれは厳密には同じ事象でなくとも、同じ試行とみなすことが出来る。
本人か別人かの区別もその程度のものだろ。
同じ遺伝子で同じ経験を所有していれば同一人物だろう。
>>その第三者は当然遮断された方が生きていた場合の行動は想定出来るわけもない だから
過去の記憶を共有してる部分で本人と認識してるだけです。
親しい人間の行動はある程度想定できるものです。
本人と認識していることと、本人とどう違うのか?
認識できればもはや本人ではないか?
人間にとって何が一番重要かというと、「本人と認識できること」だろう。
これ以上のものは無い。
例えばオリジナルが事故で前頭葉に障害を負い、我侭ほうだい、理性の無い衝動的な人間になった。
一方コピーは昔のその人の人格をもったまま。本人らしいそのもの。
さて親族はどんな見解をしめすか、どんな判断を下すか。
コピー、オリジナルなんてさほど重要なことではない。重要なのは本人と認識できること。
「本人と認識できること。」と 「本人であること」は人間にとって重要な違いではない。
と思わないかい?
これ以上のものは無い。
例えばオリジナルが事故で前頭葉に障害を負い、我侭ほうだい、理性の無い衝動的な人間になった。
一方コピーは昔のその人の人格をもったまま。本人らしいそのもの。
さて親族はどんな見解をしめすか、どんな判断を下すか。
コピー、オリジナルなんてさほど重要なことではない。重要なのは本人と認識できること。
「本人と認識できること。」と 「本人であること」は人間にとって重要な違いではない。
と思わないかい?
>同じようにしようとしても同じには絶対出来ない。
ちょっと理解出来ないというか私がどう捕らえていいのかわからないんだけども
私はこれを肯定してはないよ、あくまで同じ状況を作り出せたとしての仮定ね^^;
>厳密に同じ行動はとらない。なのになぜその人間を同じ人間といえるのか?
あれ? 私はそういうことを踏まえて同じ者ではないと言っているのだけど・・・あれ??
蟻の話でもそう主張したつもりなんだけど^^;;;;
>当然周囲も、本人たちですらコピー、複製の区別はつかないよ?
>区別は出来ても別物ではない。
ここはオリジナルがバックUPされてる事を認識してるかが問題ではなくて
バックUPされてる状態を私は指しています。要するにされている状態では同じ者
正しそれは生命と呼ばれるものじゃなしに単なる記録装置に過ぎないこと
その記録が途切れて『その者』の自我・意識が生まれた時点でオリジナルが存続してようが
消滅してしまうが『別物』という想像
>同じ遺伝子で同じ経験を所有していれば同一人物だろう。
これも蟻で説明したように『同じ』と言う状況
同じ経験を持つ2体 何も経験が無い2体 双方遺伝子的・環境的でも同じ
その時間軸において行動をスタートさせて同じ結果が生まれるか? って話したよね
鏡の話でもあるように同じものと定義するならば状況すらも同じ結果が生まれないといけない
それは先に話した他の方と同じで人格はその周囲の状況や自分の判断で変わってくるもの
でもね そこに『意思』の違いによる同じ結果が生まれないと私は思う
となれば結果が違うのだから当然別物と私は思うわけです。
>親しい人間の行動はある程度想定できるものです。本人と認識していることと、本人とどう違うのか?
>認識できればもはや本人ではないか?
そうだから第三者からすれば過去の共有する記憶とそれから経験することで作られる記憶と
共有してるわけだから入れ替わった事を認識しない限りわからないこと
でもここが重要36で問いかけたようにそこに『確実』にオリジナルが消滅してしまっている事
そしてそのオリジナルの『意思』が複製に無いことだからその部分において『霊的』と言う表現をしたのです所謂、憑依ですね。
ちょっと理解出来ないというか私がどう捕らえていいのかわからないんだけども
私はこれを肯定してはないよ、あくまで同じ状況を作り出せたとしての仮定ね^^;
>厳密に同じ行動はとらない。なのになぜその人間を同じ人間といえるのか?
あれ? 私はそういうことを踏まえて同じ者ではないと言っているのだけど・・・あれ??
蟻の話でもそう主張したつもりなんだけど^^;;;;
>当然周囲も、本人たちですらコピー、複製の区別はつかないよ?
>区別は出来ても別物ではない。
ここはオリジナルがバックUPされてる事を認識してるかが問題ではなくて
バックUPされてる状態を私は指しています。要するにされている状態では同じ者
正しそれは生命と呼ばれるものじゃなしに単なる記録装置に過ぎないこと
その記録が途切れて『その者』の自我・意識が生まれた時点でオリジナルが存続してようが
消滅してしまうが『別物』という想像
>同じ遺伝子で同じ経験を所有していれば同一人物だろう。
これも蟻で説明したように『同じ』と言う状況
同じ経験を持つ2体 何も経験が無い2体 双方遺伝子的・環境的でも同じ
その時間軸において行動をスタートさせて同じ結果が生まれるか? って話したよね
鏡の話でもあるように同じものと定義するならば状況すらも同じ結果が生まれないといけない
それは先に話した他の方と同じで人格はその周囲の状況や自分の判断で変わってくるもの
でもね そこに『意思』の違いによる同じ結果が生まれないと私は思う
となれば結果が違うのだから当然別物と私は思うわけです。
>親しい人間の行動はある程度想定できるものです。本人と認識していることと、本人とどう違うのか?
>認識できればもはや本人ではないか?
そうだから第三者からすれば過去の共有する記憶とそれから経験することで作られる記憶と
共有してるわけだから入れ替わった事を認識しない限りわからないこと
でもここが重要36で問いかけたようにそこに『確実』にオリジナルが消滅してしまっている事
そしてそのオリジナルの『意思』が複製に無いことだからその部分において『霊的』と言う表現をしたのです所謂、憑依ですね。
>>厳密に同じ行動はとらない。なのになぜその人間を同じ人間といえるのか?
>あれ? 私はそういうことを踏まえて同じ者ではないと言っているのだけど・・・あれ??
>蟻の話でもそう主張したつもりなんだけど^^;;;;
違う違う。>>37のはオリジナル一人に時間差を置いてという意味です。
それで貴方は、数秒後の自分と今の自分は同じ者ではないと主張してるの?
同じ環境か・・・
環境を全く同じにしても。全く同じ結果にたぶん私はならないのだと思う。
素粒子の世界は確率が支配している。そりゃ素粒子レベルで何かしら違いがあるから結果が違ったといえるのかもしれないがそういうレベルまでいくと追求できないことを追及することに意味が無くなるのよ。
>あれ? 私はそういうことを踏まえて同じ者ではないと言っているのだけど・・・あれ??
>蟻の話でもそう主張したつもりなんだけど^^;;;;
違う違う。>>37のはオリジナル一人に時間差を置いてという意味です。
それで貴方は、数秒後の自分と今の自分は同じ者ではないと主張してるの?
同じ環境か・・・
環境を全く同じにしても。全く同じ結果にたぶん私はならないのだと思う。
素粒子の世界は確率が支配している。そりゃ素粒子レベルで何かしら違いがあるから結果が違ったといえるのかもしれないがそういうレベルまでいくと追求できないことを追及することに意味が無くなるのよ。
分子レベルで3Dコピーが可能になったとする。
まず、CTスキャンして、分子の配列を読み取る
↓
データを保存する
↓
複製を作成する
オリジナルの本人は、現在のCTスキャン受けたのと同じだよ
別に魂が二つに分かれるわけじゃない
まず、CTスキャンして、分子の配列を読み取る
↓
データを保存する
↓
複製を作成する
オリジナルの本人は、現在のCTスキャン受けたのと同じだよ
別に魂が二つに分かれるわけじゃない
>>それで貴方は、数秒後の自分と今の自分は同じ者ではないと主張してるの?
>>ふむ^^ これもしっかり答えていますよ
>>もし過去の自分を見る事が出来た場合(この時点では紛れも無く『自分』)ですが
>但し、後(未来)では無く(過去)においてね これから起こる先は分からないものだからね。
よく分からない。話をはぐらかされた気分だ。
一年前の自分と今の自分は同じ自分ですか?1日前と今は?1秒前と今は?
さらに数秒後数日後数時間後は?
同じ自分か違う自分か?あなたの答えはよく分からない。
この話はクオリアに近い質の物があるし、再現性、自我と進化、など様々な問題も内包してるのでとてもよい問題だと思う。
>>ふむ^^ これもしっかり答えていますよ
>>もし過去の自分を見る事が出来た場合(この時点では紛れも無く『自分』)ですが
>但し、後(未来)では無く(過去)においてね これから起こる先は分からないものだからね。
よく分からない。話をはぐらかされた気分だ。
一年前の自分と今の自分は同じ自分ですか?1日前と今は?1秒前と今は?
さらに数秒後数日後数時間後は?
同じ自分か違う自分か?あなたの答えはよく分からない。
この話はクオリアに近い質の物があるし、再現性、自我と進化、など様々な問題も内包してるのでとてもよい問題だと思う。
>よく分からない。話をはぐらかされた気分だ。
おろ? 何でかな?一秒前でも一年前でも同じ世界の同じ時間軸に存在するのなら同じでないかい?
そこに保有する知識や経験値の違いを持ち出せば肉体的にも違いが生じてしまうけども
それは紛れも無く『自分』でしょ
>分かれてから後の記憶なんだけどね。
それも何度も書いていたよ 記憶し続けている以上それは記録装置と同じってね^^;
そこに意思も自我も存在してないでしょって話です。 ^^;
おろ? 何でかな?一秒前でも一年前でも同じ世界の同じ時間軸に存在するのなら同じでないかい?
そこに保有する知識や経験値の違いを持ち出せば肉体的にも違いが生じてしまうけども
それは紛れも無く『自分』でしょ
>分かれてから後の記憶なんだけどね。
それも何度も書いていたよ 記憶し続けている以上それは記録装置と同じってね^^;
そこに意思も自我も存在してないでしょって話です。 ^^;
話がおかしくなってるのは時間を越えてそこに存在しようとして
比べようとしてしまうから肉体的と知識的に誤差があるから別とか考えてしまう
私が言いたかったのは記憶を書き換えてしまった場合のみそれは別人になってしまうだろうの仮定
何も加えないで見た場合はその時間に存在するものはオリジナルってこと
それを違う時間に存在するオリジナルと比べるのは複製とはまた違う話だよ
比べようとしてしまうから肉体的と知識的に誤差があるから別とか考えてしまう
私が言いたかったのは記憶を書き換えてしまった場合のみそれは別人になってしまうだろうの仮定
何も加えないで見た場合はその時間に存在するものはオリジナルってこと
それを違う時間に存在するオリジナルと比べるのは複製とはまた違う話だよ
>>オリジナルの方に話を限定するとだよ、コピーは出来ている、自分は間違いなくそっちに(も)いる。
だから自分は死んでもOK。とはならないだろ?
オリジナルに取っては死んじゃう事には変わりないが
自分だけにしか出来ない自分の寿命以上に時間のかかる仕事をする場合は有用だわな。
サクラダファミリア作ってるガウディとか
やっぱり、終盤になって本人にしか判らない不備や改良点ってのが
出てくるだろうから。
弟子や研究者が何とかするだろうけど、本人がやるのが一番いいと思ってたはず。
まあ、本人死んじゃってるから関係ないって思うかもしれんがw
出来るだけ作品を良くしたいっつう欲求があるからコピーを欲しがったと思うよ。
だから自分は死んでもOK。とはならないだろ?
オリジナルに取っては死んじゃう事には変わりないが
自分だけにしか出来ない自分の寿命以上に時間のかかる仕事をする場合は有用だわな。
サクラダファミリア作ってるガウディとか
やっぱり、終盤になって本人にしか判らない不備や改良点ってのが
出てくるだろうから。
弟子や研究者が何とかするだろうけど、本人がやるのが一番いいと思ってたはず。
まあ、本人死んじゃってるから関係ないって思うかもしれんがw
出来るだけ作品を良くしたいっつう欲求があるからコピーを欲しがったと思うよ。
削除(by投稿者)
遺伝子情報だけでなく、ある時期までの記憶も同じ
精度の高い一卵性双生児ができるだけの話だろ
精度の高い一卵性双生児ができるだけの話だろ
>同じに近いのに、別人?なのか。
あのね^^; オリジナルはどこまでも今その現状にあるすべてのものだよ
何かを加えた場合はそのオリジナルと違うものだよ
キミさぁ^^; >同じに近いのに、別人?なのか。
自分で理解してるじゃん・・・近いというのはどこまで行っても『同じ』じゃないんだよ
あのね^^; オリジナルはどこまでも今その現状にあるすべてのものだよ
何かを加えた場合はそのオリジナルと違うものだよ
キミさぁ^^; >同じに近いのに、別人?なのか。
自分で理解してるじゃん・・・近いというのはどこまで行っても『同じ』じゃないんだよ
>あなたはパラレルワールド的な世界を想定してない?
えぇwwwwその想定を問いかけて来たの君じゃないの^^;;;;;;
記憶が連なる場合はそれは連続してるのだからどの時代でも同じと何度も言ってるし
それに記憶を書き換えてしまった状態では分岐するのだから当然
過去を見ること(観測できたとして)その者との意思に相違が生じるのだから
他世界解釈になるでしょ あくまで同じということを主体にしてるのではないの?
結論からすれば『同じ』ものは同時同じ世界・時間に存在する事はないってことですよ。
キミはどんどんレス重ねるたびに主旨からずれてきてるよ・・・・もう私もこれでいいけどさ
^^;
えぇwwwwその想定を問いかけて来たの君じゃないの^^;;;;;;
記憶が連なる場合はそれは連続してるのだからどの時代でも同じと何度も言ってるし
それに記憶を書き換えてしまった状態では分岐するのだから当然
過去を見ること(観測できたとして)その者との意思に相違が生じるのだから
他世界解釈になるでしょ あくまで同じということを主体にしてるのではないの?
結論からすれば『同じ』ものは同時同じ世界・時間に存在する事はないってことですよ。
キミはどんどんレス重ねるたびに主旨からずれてきてるよ・・・・もう私もこれでいいけどさ
^^;
>>52
じゃあ1時間前の自分と今の自分は同じに近い、つまり同じではない。
なのになんで同じ一人の人間なの?そこを答えてないでしょ。
>>53
俺はパラレルワールド的な想定はしていない。
>結論からすれば『同じ』ものは同時同じ世界・時間に存在する事はないってことですよ。
つまりあなたは原始レベルでも同じものは同じ世界に存在しないと?
一つ一つの原始は区別できると?
俺の趣旨はこうだよ。
一人の人間の一生を、時間時間に区切ってみても同じ一人の人間だといえるのなら、コピーの方がずっと高い制度で同じを実現していること。
「コピーが別人」が成り立つなら、「一分後の自分は別人」も成り立つということ。
「コピーは別人」、「自分は一生一人の同じ人間」の二つは背反事項であるということ。
じゃあ1時間前の自分と今の自分は同じに近い、つまり同じではない。
なのになんで同じ一人の人間なの?そこを答えてないでしょ。
>>53
俺はパラレルワールド的な想定はしていない。
>結論からすれば『同じ』ものは同時同じ世界・時間に存在する事はないってことですよ。
つまりあなたは原始レベルでも同じものは同じ世界に存在しないと?
一つ一つの原始は区別できると?
俺の趣旨はこうだよ。
一人の人間の一生を、時間時間に区切ってみても同じ一人の人間だといえるのなら、コピーの方がずっと高い制度で同じを実現していること。
「コピーが別人」が成り立つなら、「一分後の自分は別人」も成り立つということ。
「コピーは別人」、「自分は一生一人の同じ人間」の二つは背反事項であるということ。
>じゃあ1時間前の自分と今の自分は同じに近い、
いや、だからね^^; 同じ時間が連なっているのだから過去の自分も『自分』でしょw
その経験が記憶となって現在を形成させてるのだから。
しかしそれを『同じ』時刻に同時に存在すると仮定すれば違うでしょという話
何べんもそう書いているでしょ^^;
キミは自分が幼少時代のキミは自分ではないのかい? でもその幼少時代のキミが
現在現れたて比べたらそれは今のキミと同じかい?
キミは同じと本人とをごっちゃごちゃにしているよ
>つまりあなたは原始レベルでも同じものは同じ世界に存在しないと?
あのね^^; 同じというのはすべて『同じ』でないといけないこれが揺るぎもしない
最低条件でしょ?
貴方はもし貴方の複製を作ったもしくは作れたとして同じ位置に立つことが出来るかい?
たった数10センチずれた位置でさえそれは状況が同じではないのだよ。
それで、そこからの成り行きさえ左右される。
人格・意識・すべてに置けるものは同じ環境でということだから環境が違えば同じではない
これさぁ同じ事何度も書いてるけどさ
キミが言いたいのはそれじゃ単なるクローンでしょ遺伝子だけ同じってことならさ
キミはコピー(複製)とオリジナルの時間の経過とごっちゃにしてしまっている
何故そうオリジナルの時間経過を同軸置こうとするのかね?
それは別次元の話だよ?
堂々巡りとか言ってるけど毎回同じ返答・質問してるのは貴方だよw
コピーは制度良かろうが何だろうがコピーし続けている間は意思や自我は存在しないってことも何度も書いたはずだけど・・・
>「コピーが別人」が成り立つなら、「一分後の自分は別人」も成り立つということ。
>「コピーは別人」、「自分は一生一人の同じ人間」の二つは背反事項であるということ
これさ自分で相当頓珍漢な事書いてるよ・・・
一分後の自分は別人はってこれ『自分』でしょ? でコピーは自分じゃないでしょ^^;
いや、だからね^^; 同じ時間が連なっているのだから過去の自分も『自分』でしょw
その経験が記憶となって現在を形成させてるのだから。
しかしそれを『同じ』時刻に同時に存在すると仮定すれば違うでしょという話
何べんもそう書いているでしょ^^;
キミは自分が幼少時代のキミは自分ではないのかい? でもその幼少時代のキミが
現在現れたて比べたらそれは今のキミと同じかい?
キミは同じと本人とをごっちゃごちゃにしているよ
>つまりあなたは原始レベルでも同じものは同じ世界に存在しないと?
あのね^^; 同じというのはすべて『同じ』でないといけないこれが揺るぎもしない
最低条件でしょ?
貴方はもし貴方の複製を作ったもしくは作れたとして同じ位置に立つことが出来るかい?
たった数10センチずれた位置でさえそれは状況が同じではないのだよ。
それで、そこからの成り行きさえ左右される。
人格・意識・すべてに置けるものは同じ環境でということだから環境が違えば同じではない
これさぁ同じ事何度も書いてるけどさ
キミが言いたいのはそれじゃ単なるクローンでしょ遺伝子だけ同じってことならさ
キミはコピー(複製)とオリジナルの時間の経過とごっちゃにしてしまっている
何故そうオリジナルの時間経過を同軸置こうとするのかね?
それは別次元の話だよ?
堂々巡りとか言ってるけど毎回同じ返答・質問してるのは貴方だよw
コピーは制度良かろうが何だろうがコピーし続けている間は意思や自我は存在しないってことも何度も書いたはずだけど・・・
>「コピーが別人」が成り立つなら、「一分後の自分は別人」も成り立つということ。
>「コピーは別人」、「自分は一生一人の同じ人間」の二つは背反事項であるということ
これさ自分で相当頓珍漢な事書いてるよ・・・
一分後の自分は別人はってこれ『自分』でしょ? でコピーは自分じゃないでしょ^^;
>>「コピーが別人」が成り立つなら、「一分後の自分は別人」も成り立つということ。
>>「コピーは別人」、「自分は一生一人の同じ人間」の二つは背反事項であるということ
>これさ自分で相当頓珍漢な事書いてるよ・・・
>一分後の自分は別人はってこれ『自分』でしょ? でコピーは自分じゃないでしょ^^;
頓珍漢ではないし。なぜ一分後の自分は同じ自分といえるの?
そりゃ便宜上自分であるというよ。しかし一体何をもって自分と言い切る?
遺伝子?記憶?それともあんたの言う時間的連続性があるから?
あなたの定義とは違うがコピーが意志もって動いてるとすると、コピーとオリジナルは同じ過去を共有してる。コピーもオリジナルも時間的連続性は持ってる。
どっちも一人の人間として一つの時間軸を持っている。その過去が共有しているのだよ。
>コピーは自分じゃないでしょ^^;
それはあなたの勝手な思い込みでしょ。繰り返しになるけどなんでコピーは自分じゃないの?
>あのね^^; 同じというのはすべて『同じ』でないといけないこれが揺るぎもしない
最低条件でしょ?
あなたの頭の中では「同じ条件」を再現できる前提のようだが、全て同じ条件なんてことは絶対に用意できない。それこそ原子の振動の位相から原子内部の素粒子のエネルギー、運動量位置、それに宇宙に絶対位置は無いが位置座標から・・・
しかしそんなことは無視してこれ以上求めようのない精度まで再現できたものを科学上、同じというのだよ。
>人格・意識・すべてに置けるものは同じ環境でということだから環境が違えば同じではない
それだと環境も含めて自分、宇宙全て含めて自分という概念にならないか?
>これさぁ同じ事何度も書いてるけどさ
>キミが言いたいのはそれじゃ単なるクローンでしょ遺伝子だけ同じってことならさ
クローンとは全然違うね途中まで経験を共有しているのだから。
>>「コピーは別人」、「自分は一生一人の同じ人間」の二つは背反事項であるということ
>これさ自分で相当頓珍漢な事書いてるよ・・・
>一分後の自分は別人はってこれ『自分』でしょ? でコピーは自分じゃないでしょ^^;
頓珍漢ではないし。なぜ一分後の自分は同じ自分といえるの?
そりゃ便宜上自分であるというよ。しかし一体何をもって自分と言い切る?
遺伝子?記憶?それともあんたの言う時間的連続性があるから?
あなたの定義とは違うがコピーが意志もって動いてるとすると、コピーとオリジナルは同じ過去を共有してる。コピーもオリジナルも時間的連続性は持ってる。
どっちも一人の人間として一つの時間軸を持っている。その過去が共有しているのだよ。
>コピーは自分じゃないでしょ^^;
それはあなたの勝手な思い込みでしょ。繰り返しになるけどなんでコピーは自分じゃないの?
>あのね^^; 同じというのはすべて『同じ』でないといけないこれが揺るぎもしない
最低条件でしょ?
あなたの頭の中では「同じ条件」を再現できる前提のようだが、全て同じ条件なんてことは絶対に用意できない。それこそ原子の振動の位相から原子内部の素粒子のエネルギー、運動量位置、それに宇宙に絶対位置は無いが位置座標から・・・
しかしそんなことは無視してこれ以上求めようのない精度まで再現できたものを科学上、同じというのだよ。
>人格・意識・すべてに置けるものは同じ環境でということだから環境が違えば同じではない
それだと環境も含めて自分、宇宙全て含めて自分という概念にならないか?
>これさぁ同じ事何度も書いてるけどさ
>キミが言いたいのはそれじゃ単なるクローンでしょ遺伝子だけ同じってことならさ
クローンとは全然違うね途中まで経験を共有しているのだから。
あのね^^;;;;;
>なぜ一分後の自分は同じ自分といえるの?
このキミが書いた文がそのまま答えだよ『一分後の自分』これ何て書いてる?
『自分』でしょ?『一分後のコピー』って書いてるかい? 何分後であっても自分は自分でしょ?
コピーはどこまで行っても複製しかない、しかし過去の記憶を共有しそれ以降 他がその過去の記憶を共有するものから見れば連続しているので識別は不能ということ
過去の記憶が共有してるだけで遮断された場合何故同じと言えますか? その根拠は?
私が述べた同じにはならないだろうとい想像の根拠は蟻で例えたはずです。
貴方は空想以前に確たる現象に目を背けすぎだよ^^;
オリジナルまたは自分が消えたのが事実であればそれは『消えた』んだよ物理的にも
そして、その引継ぎが果たして『自分』なのか? って話なんでしょ?
>「同じ条件」を再現できる前提のようだが、全て同じ条件なんてことは絶対に用意できない。
あのねぇ^^;;;; だから出来たとして仮定するとって注釈を幾つも入れてるでしょう><;;
キミさぁ・・・・・・・・対論以前に話進めるのなら相手の文をよく読んで意図を把握するところから始めようよTT;
それじゃ誰とも会話が成立しないよ・・・
>なぜ一分後の自分は同じ自分といえるの?
このキミが書いた文がそのまま答えだよ『一分後の自分』これ何て書いてる?
『自分』でしょ?『一分後のコピー』って書いてるかい? 何分後であっても自分は自分でしょ?
コピーはどこまで行っても複製しかない、しかし過去の記憶を共有しそれ以降 他がその過去の記憶を共有するものから見れば連続しているので識別は不能ということ
過去の記憶が共有してるだけで遮断された場合何故同じと言えますか? その根拠は?
私が述べた同じにはならないだろうとい想像の根拠は蟻で例えたはずです。
貴方は空想以前に確たる現象に目を背けすぎだよ^^;
オリジナルまたは自分が消えたのが事実であればそれは『消えた』んだよ物理的にも
そして、その引継ぎが果たして『自分』なのか? って話なんでしょ?
>「同じ条件」を再現できる前提のようだが、全て同じ条件なんてことは絶対に用意できない。
あのねぇ^^;;;; だから出来たとして仮定するとって注釈を幾つも入れてるでしょう><;;
キミさぁ・・・・・・・・対論以前に話進めるのなら相手の文をよく読んで意図を把握するところから始めようよTT;
それじゃ誰とも会話が成立しないよ・・・
>ここのところもう少し詳しく聞こうか?同じと本人はどう違う?
字の如くでしょ^^;; それ国語の話になるじゃんw
キミさ幼少から体付きや知識において成長してないのかい? 違うだろ同じじゃないだろ
でもその幼少は紛れも無くキミ本人だろ・・・・・・
これ、分からないことかなぁ><;;;;
字の如くでしょ^^;; それ国語の話になるじゃんw
キミさ幼少から体付きや知識において成長してないのかい? 違うだろ同じじゃないだろ
でもその幼少は紛れも無くキミ本人だろ・・・・・・
これ、分からないことかなぁ><;;;;
>何故そうオリジナルの時間経過を同軸置こうとするのかね?
これは凄く重要なこと。
なぜなら自分という人間は、自分の経験してきた過去を全て含めて一人の人間として成り立
っているから。
当然だが観念として、「過去も含めて自分は一人の人間」と思っている。
では分子はもとより遺伝子すら違って来ているであろう、時間の経過による変化を
なぜ自分という一つの概念で覆えるのかというと、それはもはや記憶があるからということ
に他ならない。時間的連続性ではない。記憶が自分を一つにつないでいる。
自分という概念において記憶というのはかなり容量を占める。
ではそのかなりの容量を占める記憶を共有するものが現れれば。
なぜそれを別人とよべるのか?
”「区別は出来ても別人とはよべまい。」”とはそういうこと。
議論してて気付いたがこれは、自我とかクオリアといった難しい問題を孕んでいる事が分かった。クオリアについての議論はしばしば混沌に陥る。
私の混沌にお付き合いいただきありがとう。
これは凄く重要なこと。
なぜなら自分という人間は、自分の経験してきた過去を全て含めて一人の人間として成り立
っているから。
当然だが観念として、「過去も含めて自分は一人の人間」と思っている。
では分子はもとより遺伝子すら違って来ているであろう、時間の経過による変化を
なぜ自分という一つの概念で覆えるのかというと、それはもはや記憶があるからということ
に他ならない。時間的連続性ではない。記憶が自分を一つにつないでいる。
自分という概念において記憶というのはかなり容量を占める。
ではそのかなりの容量を占める記憶を共有するものが現れれば。
なぜそれを別人とよべるのか?
”「区別は出来ても別人とはよべまい。」”とはそういうこと。
議論してて気付いたがこれは、自我とかクオリアといった難しい問題を孕んでいる事が分かった。クオリアについての議論はしばしば混沌に陥る。
私の混沌にお付き合いいただきありがとう。
>『自分』でしょ?『一分後のコピー』って書いてるかい? 何分後であっても自分は自分でしょ?
何でそこに疑問が生まれないのかが不思議。
>そりゃ便宜上自分であるというよ。しかし一体何をもって自分と言い切る?
>遺伝子?記憶?それともあんたの言う時間的連続性があるから?
その大前提になぜそういえるのか考えてみてよ。
なんで一生とおして一人の自分とくくれるの?その根拠を考えてみてよ。
>キミさ幼少から体付きや知識において成長してないのかい? 違うだろ同じじゃないだろ
>でもその幼少は紛れも無くキミ本人だろ・・・・・・
よく「同じ本人だ。」という言い回しをするが、上記を踏まえると「別の本人だ。」
と言いまわせるということ?
何でそこに疑問が生まれないのかが不思議。
>そりゃ便宜上自分であるというよ。しかし一体何をもって自分と言い切る?
>遺伝子?記憶?それともあんたの言う時間的連続性があるから?
その大前提になぜそういえるのか考えてみてよ。
なんで一生とおして一人の自分とくくれるの?その根拠を考えてみてよ。
>キミさ幼少から体付きや知識において成長してないのかい? 違うだろ同じじゃないだろ
>でもその幼少は紛れも無くキミ本人だろ・・・・・・
よく「同じ本人だ。」という言い回しをするが、上記を踏まえると「別の本人だ。」
と言いまわせるということ?
>なんで一生とおして一人の自分とくくれるの?その根拠を考えてみてよ。
あのね^^;;;; 国語のスレじゃないんだしさ まず『自分』と言う定義を理解しようよ
じぶん【自分】その人自身。自己。自身。
これ理解出来ますよね。
この位置付けをまず決めてそこから可能性を考えないと 自分が自分で無いかもとか言い出したら
何も話も思考もできないよ? 何を基準にして考えるの? それがもう混沌でしょ?
まず自分があっての複製なんでしょ?
その自分が何なのか分からない状態ならそれはもうこの話はもうそこで終息してるでしょ
自分の意思で自分が歩んで来た人生を自分で認識出来なくてそれが疑問だというのなら
それはもう科学じゃなくてノイローゼに近いよ
それ言い出したら誰も想像も仮定すらも出来ないよ・・・・・・・・
これで私のレスは終了するね。
あのね^^;;;; 国語のスレじゃないんだしさ まず『自分』と言う定義を理解しようよ
じぶん【自分】その人自身。自己。自身。
これ理解出来ますよね。
この位置付けをまず決めてそこから可能性を考えないと 自分が自分で無いかもとか言い出したら
何も話も思考もできないよ? 何を基準にして考えるの? それがもう混沌でしょ?
まず自分があっての複製なんでしょ?
その自分が何なのか分からない状態ならそれはもうこの話はもうそこで終息してるでしょ
自分の意思で自分が歩んで来た人生を自分で認識出来なくてそれが疑問だというのなら
それはもう科学じゃなくてノイローゼに近いよ
それ言い出したら誰も想像も仮定すらも出来ないよ・・・・・・・・
これで私のレスは終了するね。
>>63
これで最後というならレスしても仕方ないが一応しとこう。
>じぶん【自分】その人自身。自己。自身。
これは全然答えになってない。「なぜ一生を通して自分という人間を一つの概念で包むことが出来るのか。」の答えになっていない。
>自分の意思で自分が歩んで来た人生を自分で認識出来なくてそれが疑問だというのなら
それはもう科学じゃなくてノイローゼに近いよ
じゃあ科学的に一人の人間を定義してみてよ。
自分とは何か?自分というものを科学的に定義してみたらどうなるか。
君になりに定義してから、そしてコピー問題を語って欲しい。(おそらくどのように定義し
ても問題が生じるはずだが。)
君は「自分」というものすらまともに定義せずに「自分は自分である。」というのを
大前提だと思い込んで話を進めただけ。根幹が定義されてないのに、おっしゃるとおり
その上の議論は何も意味が無い。
この話はただのノイローゼではなく、科学的な問題としてもずっと昔から提唱されてる「意識のハードプロブレム」という問題。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%A7%...
ついでに実験名は忘れたが自分の境界というのも非常の曖昧なものがある。
人は自分の意思で動かしていると思っているが、ある特殊な条件下におくと他人が動かした腕を自分が動かしたと思い出す。実際のところ自己と他者の境界すら曖昧なのです。
でも人間というのは主体性を持ちたがる。何かと自分の意思でしたと思ったほうが、生存戦略上有利に働いたのでしょう。自我も勿論進化の過程で獲得された生物の機能にすぎない。
そして自我を作る記憶も本人の知らないところで書き換えられる。これは虐待裁判などで有名になった話し。
自分という概念は実は非常に危ういものの上に成り立っているのです。
これで最後というならレスしても仕方ないが一応しとこう。
>じぶん【自分】その人自身。自己。自身。
これは全然答えになってない。「なぜ一生を通して自分という人間を一つの概念で包むことが出来るのか。」の答えになっていない。
>自分の意思で自分が歩んで来た人生を自分で認識出来なくてそれが疑問だというのなら
それはもう科学じゃなくてノイローゼに近いよ
じゃあ科学的に一人の人間を定義してみてよ。
自分とは何か?自分というものを科学的に定義してみたらどうなるか。
君になりに定義してから、そしてコピー問題を語って欲しい。(おそらくどのように定義し
ても問題が生じるはずだが。)
君は「自分」というものすらまともに定義せずに「自分は自分である。」というのを
大前提だと思い込んで話を進めただけ。根幹が定義されてないのに、おっしゃるとおり
その上の議論は何も意味が無い。
この話はただのノイローゼではなく、科学的な問題としてもずっと昔から提唱されてる「意識のハードプロブレム」という問題。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%A7%...
ついでに実験名は忘れたが自分の境界というのも非常の曖昧なものがある。
人は自分の意思で動かしていると思っているが、ある特殊な条件下におくと他人が動かした腕を自分が動かしたと思い出す。実際のところ自己と他者の境界すら曖昧なのです。
でも人間というのは主体性を持ちたがる。何かと自分の意思でしたと思ったほうが、生存戦略上有利に働いたのでしょう。自我も勿論進化の過程で獲得された生物の機能にすぎない。
そして自我を作る記憶も本人の知らないところで書き換えられる。これは虐待裁判などで有名になった話し。
自分という概念は実は非常に危ういものの上に成り立っているのです。
お前ら類は友を呼ぶの典型例だな
長文のくせに論点が絞れない
長文のくせに論点が絞れない
長文だから論点が見出しにくいのだろ。それは普通のことだが。
いきなり結論を書いたってはいそうですか。と誰も納得しないだろ。
いきなり結論を書いたってはいそうですか。と誰も納得しないだろ。
やっぱり似た問題があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E8%BB%...
>「複写か移動か」
ジョン・ロックは1689年の "An Essay Concerning Human Understanding" の中で自我の同
一性について次のような判断基準を提案している。すなわち、もしあなたが過去に何かを考
えていたことを記憶しているなら、その考えていた人物とあなたは同一である、というもの
である。その後、哲学者らは同一性問題に関する様々なバリエーションを提案してきた。そ
のほとんどはブール論理を適用することで生じたものである。ファジィ論理によれば、ロッ
クの提案は、自我の同一性を離散的な値ではなく連続的なものとして扱うことで妥当となる
ことが示された[7]
精神転送では、複写が作られた時点では、両者(複写元と複写先)はほとんど同一の人物の
2つの実体(インスタンス)と言う事ができる。しかし、時と共に両者の別人としての差異
が大きくなっていくと考えられる。
脳の破壊を伴うような技法(連続切片化など)では、これを精神の複写と見るのか移動と見
るのかは難しい問題である。これは、心身問題の哲学について各人がどのような考え方を持
っているかに依存する、正しい1つの答の無い問題である。
このような哲学的な問題に関連して、徐々に脳を置き換えていく手法(上述のナノマシンに
よるものなど)の方が好ましいと考える者もいる。その間意識を失うことがないならば、こ
れは通常の新陳代謝で脳を構成する分子が常に入れ替わっているのと何ら変わらない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E8%BB%...
>「複写か移動か」
ジョン・ロックは1689年の "An Essay Concerning Human Understanding" の中で自我の同
一性について次のような判断基準を提案している。すなわち、もしあなたが過去に何かを考
えていたことを記憶しているなら、その考えていた人物とあなたは同一である、というもの
である。その後、哲学者らは同一性問題に関する様々なバリエーションを提案してきた。そ
のほとんどはブール論理を適用することで生じたものである。ファジィ論理によれば、ロッ
クの提案は、自我の同一性を離散的な値ではなく連続的なものとして扱うことで妥当となる
ことが示された[7]
精神転送では、複写が作られた時点では、両者(複写元と複写先)はほとんど同一の人物の
2つの実体(インスタンス)と言う事ができる。しかし、時と共に両者の別人としての差異
が大きくなっていくと考えられる。
脳の破壊を伴うような技法(連続切片化など)では、これを精神の複写と見るのか移動と見
るのかは難しい問題である。これは、心身問題の哲学について各人がどのような考え方を持
っているかに依存する、正しい1つの答の無い問題である。
このような哲学的な問題に関連して、徐々に脳を置き換えていく手法(上述のナノマシンに
よるものなど)の方が好ましいと考える者もいる。その間意識を失うことがないならば、こ
れは通常の新陳代謝で脳を構成する分子が常に入れ替わっているのと何ら変わらない。
>>65 長文のくせに論点が絞れない
論点絞れてないのはスレ主だけだよ^^; この場合はどうとかあの場合はどうとかw
>>64
>じゃあ科学的に一人の人間を定義してみてよ。
>自分とは何か?自分というものを科学的に定義してみたらどうなるか。
だ・か・ら・・・・キミは一体何を言っとるのかね^^;;;;
じぶん【自分】その人自身。自己。自身。
科学的であろうが文学的であろうが宇宙的であろうが他世界解釈であろうが
自分は自分だよ
①というオリジナルから①を(己を)見た場合も自分だ
②というう複製が②を(己を)見た場合も自分だ
しかし①が②を見た場合は(自我がある場合)『自分』じゃないんだよ
>君になりに定義してから、そしてコピー問題を語って欲しい
私がここに登場してからそれをず〜〜〜〜〜〜っと仮説してるじゃんw
キミさぁ相手の文に対して思考するんじゃなくて意図をまったく把握してないじゃん
てか読んでるの???
>じゃあ科学的に一人の人間を定義してみてよ。
こんな質問に科学とか持ち出さなくてもキミ自身何なんだと考えればいいだけじゃんw
そしてキミ自身が分からないと思うんなんらそれはカウンセラー行きだよ^^;
キミは一体何人いるだよw キミはキミだけだろうにw
論点絞れてないのはスレ主だけだよ^^; この場合はどうとかあの場合はどうとかw
>>64
>じゃあ科学的に一人の人間を定義してみてよ。
>自分とは何か?自分というものを科学的に定義してみたらどうなるか。
だ・か・ら・・・・キミは一体何を言っとるのかね^^;;;;
じぶん【自分】その人自身。自己。自身。
科学的であろうが文学的であろうが宇宙的であろうが他世界解釈であろうが
自分は自分だよ
①というオリジナルから①を(己を)見た場合も自分だ
②というう複製が②を(己を)見た場合も自分だ
しかし①が②を見た場合は(自我がある場合)『自分』じゃないんだよ
>君になりに定義してから、そしてコピー問題を語って欲しい
私がここに登場してからそれをず〜〜〜〜〜〜っと仮説してるじゃんw
キミさぁ相手の文に対して思考するんじゃなくて意図をまったく把握してないじゃん
てか読んでるの???
>じゃあ科学的に一人の人間を定義してみてよ。
こんな質問に科学とか持ち出さなくてもキミ自身何なんだと考えればいいだけじゃんw
そしてキミ自身が分からないと思うんなんらそれはカウンセラー行きだよ^^;
キミは一体何人いるだよw キミはキミだけだろうにw
>精神転送では、複写が作られた時点では、両者(複写元と複写先)はほとんど同一の人物の
>2つの実体(インスタンス)と言う事ができる。しかし、時と共に両者の別人としての差異
>が大きくなっていくと考えられる。
私が仮説した内容よ同じではないかwww
キミマジで人の話まったく読んでないだ炉><;;;;;;;;;;;;
>2つの実体(インスタンス)と言う事ができる。しかし、時と共に両者の別人としての差異
>が大きくなっていくと考えられる。
私が仮説した内容よ同じではないかwww
キミマジで人の話まったく読んでないだ炉><;;;;;;;;;;;;
>すなわち、もしあなたが過去に何かを考
>えていたことを記憶しているなら、その考えていた人物とあなたは同一である、というもの
>である。その後、哲学者らは同一性問題に関する様々なバリエーションを提案してきた。そ
>のほとんどはブール論理を適用することで生じたものである。ファジィ論理によれば、ロッ
>クの提案は、自我の同一性を離散的な値ではなく連続的なものとして扱うことで妥当となる
>ことが示された[7]
つまり(よく分からんが)ファジィ理論によれば自我の同一性を連続的に扱うのと、「過去の自分と今の自分に記憶的連続性」があれば同一といえるといっている。
これはつまりコピーした自分とオリジナルは双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
>脳の破壊を伴うような技法(連続切片化など)では、これを精神の複写と見るのか移動と見
>るのかは難しい問題である。これは、心身問題の哲学について各人がどのような考え方を持
>っているかに依存する、正しい1つの答の無い問題である。
>このような哲学的な問題に関連して、徐々に脳を置き換えていく手法(上述のナノマシンに
>よるものなど)の方が好ましいと考える者もいる。その間意識を失うことがないならば、こ
>れは通常の新陳代謝で脳を構成する分子が常に入れ替わっているのと何ら変わらない。
結果論からすると徐々に置き換わったのと、一気に置き換えたのと何が違うというのか?
徐々に置き換わった場合、一つの自我が誕生し、非破壊的に一気に置き換えた場合2つの自我が誕生する。誕生した自我に結果的に違いが無ければそれは自分なのかコピーなのか?
>えていたことを記憶しているなら、その考えていた人物とあなたは同一である、というもの
>である。その後、哲学者らは同一性問題に関する様々なバリエーションを提案してきた。そ
>のほとんどはブール論理を適用することで生じたものである。ファジィ論理によれば、ロッ
>クの提案は、自我の同一性を離散的な値ではなく連続的なものとして扱うことで妥当となる
>ことが示された[7]
つまり(よく分からんが)ファジィ理論によれば自我の同一性を連続的に扱うのと、「過去の自分と今の自分に記憶的連続性」があれば同一といえるといっている。
これはつまりコピーした自分とオリジナルは双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
>脳の破壊を伴うような技法(連続切片化など)では、これを精神の複写と見るのか移動と見
>るのかは難しい問題である。これは、心身問題の哲学について各人がどのような考え方を持
>っているかに依存する、正しい1つの答の無い問題である。
>このような哲学的な問題に関連して、徐々に脳を置き換えていく手法(上述のナノマシンに
>よるものなど)の方が好ましいと考える者もいる。その間意識を失うことがないならば、こ
>れは通常の新陳代謝で脳を構成する分子が常に入れ替わっているのと何ら変わらない。
結果論からすると徐々に置き換わったのと、一気に置き換えたのと何が違うというのか?
徐々に置き換わった場合、一つの自我が誕生し、非破壊的に一気に置き換えた場合2つの自我が誕生する。誕生した自我に結果的に違いが無ければそれは自分なのかコピーなのか?
>つまり(よく分からんが)ファジィ理論によれば自我の同一性を連続的に扱うのと、「過去の自分と今の自分に記憶的連続性」があれば同一といえるといっている。
>これはつまりコピーした自分とオリジナルは双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
あのさぁ^^;;;; これ何度も書いてるじゃんw
コピーし続けてる間は同じものだって でもそれが自我を持ち単体として活動した場合は同じじゃないって
>時と共に両者の別人としての差異
こういうことでしょw 『差異』というのは同じじゃない、同じじゃないと言う事は別人なんだよ
>双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
これを認識するのは第三の観測者すなわち接点を持った者が見て連続してると把握しているだけだ
両者に差異が生じてるのに何で同一になるんだよw
>これはつまりコピーした自分とオリジナルは双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
あのさぁ^^;;;; これ何度も書いてるじゃんw
コピーし続けてる間は同じものだって でもそれが自我を持ち単体として活動した場合は同じじゃないって
>時と共に両者の別人としての差異
こういうことでしょw 『差異』というのは同じじゃない、同じじゃないと言う事は別人なんだよ
>双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
これを認識するのは第三の観測者すなわち接点を持った者が見て連続してると把握しているだけだ
両者に差異が生じてるのに何で同一になるんだよw
>>つまり(よく分からんが)ファジィ理論によれば自我の同一性を連続的に扱うのと、「過去の自分と今の自分に記憶的連続性」があれば同一といえるといっている。
>>これはつまりコピーした自分とオリジナルは双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
>あのさぁ^^;;;; これ何度も書いてるじゃんw
>コピーし続けてる間は同じものだって でもそれが自我を持ち単体として活動した場合は同じじゃないって
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E8%BB%...
このリンク先ではさコピーしたものも当然自我を持った活動しだしたとして書いてあるの。
その上で記憶に連続性があれば同一人物といってるの。
活動してるコピーも当然記憶の連続性を有しているの。何で分からないかな。
>>これはつまりコピーした自分とオリジナルは双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
>あのさぁ^^;;;; これ何度も書いてるじゃんw
>コピーし続けてる間は同じものだって でもそれが自我を持ち単体として活動した場合は同じじゃないって
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E8%BB%...
このリンク先ではさコピーしたものも当然自我を持った活動しだしたとして書いてあるの。
その上で記憶に連続性があれば同一人物といってるの。
活動してるコピーも当然記憶の連続性を有しているの。何で分からないかな。
削除(by投稿者)
>それに「別人としての差異が大きくなる」と書いてるだけで、どの時点で別人とは書いてないだろ。
↓
>片方が生きる選択が生じたことで(バックアップが途切れる)そこにその固体固有の意思があり
オリジナルとは別物なんだよね。
>その記録が途切れて『その者』の自我・意識が生まれた時点でオリジナルが存続してようが
消滅してしまうが『別物』という想像
キミさマジで何にも読んでもいないしそれに対して思考してないんだな^^;;;
>あんたは結果が違えば別人といった。
当たり前だろ><; 違うというのはどこまで行っても『違う』んだから『同じ』じゃないだろ・・・・
それが差異なんだろ だったら別人だろうに^^;
もういいうよ 相手の文を読んで返答する基本的掲示板のあり方さえ混沌としてるキミは
会話が成立しないよ><
↓
>片方が生きる選択が生じたことで(バックアップが途切れる)そこにその固体固有の意思があり
オリジナルとは別物なんだよね。
>その記録が途切れて『その者』の自我・意識が生まれた時点でオリジナルが存続してようが
消滅してしまうが『別物』という想像
キミさマジで何にも読んでもいないしそれに対して思考してないんだな^^;;;
>あんたは結果が違えば別人といった。
当たり前だろ><; 違うというのはどこまで行っても『違う』んだから『同じ』じゃないだろ・・・・
それが差異なんだろ だったら別人だろうに^^;
もういいうよ 相手の文を読んで返答する基本的掲示板のあり方さえ混沌としてるキミは
会話が成立しないよ><
>>時と共に両者の別人としての差異
>こういうことでしょw 『差異』というのは同じじゃない、同じじゃないと言う事は別人なんだよ
俺も何度も言ってるが、自分っていうか生物は常に分子を入れ替えているし変化している。
変化しているということは同じじゃないということ。つまり一分後の自分は同じじゃない
じゃあ一分後の自分は別人が成り立つだろと。
>>双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
>これを認識するのは第三の観測者すなわち接点を持った者が見て連続してると把握しているだけだ
第3者ではない、勿論主観的な記憶に決まってるだろ。主観的な記憶を持った人間は、その時間軸ですべて同一といっているのだ。
>こういうことでしょw 『差異』というのは同じじゃない、同じじゃないと言う事は別人なんだよ
俺も何度も言ってるが、自分っていうか生物は常に分子を入れ替えているし変化している。
変化しているということは同じじゃないということ。つまり一分後の自分は同じじゃない
じゃあ一分後の自分は別人が成り立つだろと。
>>双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
>これを認識するのは第三の観測者すなわち接点を持った者が見て連続してると把握しているだけだ
第3者ではない、勿論主観的な記憶に決まってるだろ。主観的な記憶を持った人間は、その時間軸ですべて同一といっているのだ。
>活動してるコピーも当然記憶の連続性を有しているの。何で分からないかな。
これも
>これを認識するのは第三の観測者すなわち接点を持った者が見て連続してると把握しているだけだ
何度書けばいいんだよ^^;
連続してるのと同じとは一緒じゃないだろうにwwww
差異が生じてる2体が双方記憶が連続してるのは当たり前だろ なんでこんな事も理解できないんだ?
これも
>これを認識するのは第三の観測者すなわち接点を持った者が見て連続してると把握しているだけだ
何度書けばいいんだよ^^;
連続してるのと同じとは一緒じゃないだろうにwwww
差異が生じてる2体が双方記憶が連続してるのは当たり前だろ なんでこんな事も理解できないんだ?
>変化しているということは同じじゃないということ。つまり一分後の自分は同じじゃない
じゃあ一分後の自分は別人が成り立つだろと。
また同じと自分の話に戻してるw これも書いただろ もういいよ。
じゃあ一分後の自分は別人が成り立つだろと。
また同じと自分の話に戻してるw これも書いただろ もういいよ。
>>77
仮に君の仮説が正しければだね。
ウィキにはこう書いてあるはずだ「コピーした時点で別人である。」と。
勿論ウィキのコピーとは自我を持っている状態でバックアップではないよ。
因みにウィキの結論はこうだ。
>脳の破壊を伴うような技法(連続切片化など)では、これを精神の複写と見るのか移動と見
>るのかは難しい問題である。これは、心身問題の哲学について各人がどのような考え方を持
>っているかに依存する、正しい1つの答の無い問題である。
と。
つまり別人が成り立つかどうかは、自我とは何か?という定義によって変わってくるということだよ。
で君に自分とは何か?ときくと「自分とは自分だ」という。これじゃあ話にならないよ。
仮に君の仮説が正しければだね。
ウィキにはこう書いてあるはずだ「コピーした時点で別人である。」と。
勿論ウィキのコピーとは自我を持っている状態でバックアップではないよ。
因みにウィキの結論はこうだ。
>脳の破壊を伴うような技法(連続切片化など)では、これを精神の複写と見るのか移動と見
>るのかは難しい問題である。これは、心身問題の哲学について各人がどのような考え方を持
>っているかに依存する、正しい1つの答の無い問題である。
と。
つまり別人が成り立つかどうかは、自我とは何か?という定義によって変わってくるということだよ。
で君に自分とは何か?ときくと「自分とは自分だ」という。これじゃあ話にならないよ。
>>78
俺も何度書けばよいのか?
>ジョン・ロックは1689年の "An Essay Concerning Human Understanding" の中で自我の同
>一性について次のような判断基準を提案している。すなわち、もしあなたが過去に何かを考
>えていたことを記憶しているなら、その考えていた人物とあなたは同一である、というもの
>である。その後、哲学者らは同一性問題に関する様々なバリエーションを提案してきた。そ
>のほとんどはブール論理を適用することで生じたものである。ファジィ論理によれば、ロッ
>クの提案は、自我の同一性を離散的な値ではなく連続的なものとして扱うことで妥当となる
>ことが示された[7]
上記の「その考えていた人物とあなたは同一である。」とかいてあるだろ。
これはファジー理論で自我の同一性を連続的なもとして扱うと妥当と書いてあるだろ。
俺も何度書けばよいのか?
>ジョン・ロックは1689年の "An Essay Concerning Human Understanding" の中で自我の同
>一性について次のような判断基準を提案している。すなわち、もしあなたが過去に何かを考
>えていたことを記憶しているなら、その考えていた人物とあなたは同一である、というもの
>である。その後、哲学者らは同一性問題に関する様々なバリエーションを提案してきた。そ
>のほとんどはブール論理を適用することで生じたものである。ファジィ論理によれば、ロッ
>クの提案は、自我の同一性を離散的な値ではなく連続的なものとして扱うことで妥当となる
>ことが示された[7]
上記の「その考えていた人物とあなたは同一である。」とかいてあるだろ。
これはファジー理論で自我の同一性を連続的なもとして扱うと妥当と書いてあるだろ。
まぁなんだここまでくると俺は面白くなってきた。
何度君がその主張を通そうとしても俺は反論し続けるよw
ついでにここまで糞汚い言葉の貶しあいにならなかったことに感謝する。
君の論は矛盾があるがきっと君は素晴らしい人間だろう。
何度君がその主張を通そうとしても俺は反論し続けるよw
ついでにここまで糞汚い言葉の貶しあいにならなかったことに感謝する。
君の論は矛盾があるがきっと君は素晴らしい人間だろう。
じゃ小学生でも分かる例えでするよ^^;;;
過去において同一の記憶持った2体の前にボールを置く
そして行なった行動が片方が手に持って投げた
もう片方が足で蹴った
この行動を片方ずつだけ見てる第三者からすれば過去と現在の行動に連続している。
しかし明らかにこの2体の行動は同じじゃないとするとそこに働く『意思』にも相違がある
ということは
>例え自分が何人できようと、体感できるのは一人なんだから
スレ題に書いたキミのこれがそのまんまなんだよ 手を使った体感・意思は一人
足を使った体感・意思は一人
別々なんだよw
過去において同一の記憶持った2体の前にボールを置く
そして行なった行動が片方が手に持って投げた
もう片方が足で蹴った
この行動を片方ずつだけ見てる第三者からすれば過去と現在の行動に連続している。
しかし明らかにこの2体の行動は同じじゃないとするとそこに働く『意思』にも相違がある
ということは
>例え自分が何人できようと、体感できるのは一人なんだから
スレ題に書いたキミのこれがそのまんまなんだよ 手を使った体感・意思は一人
足を使った体感・意思は一人
別々なんだよw
>第三者からすれば過去と現在の行動に連続している。
注釈入れるまでもないと無いと思うが格本人達も過去からその行動に連続している
あくまで『同じ』か? ということと 手を使った者が足を使ったものを見て
それが『自分』か? ということ
これは鏡でも例えたことと同じ
注釈入れるまでもないと無いと思うが格本人達も過去からその行動に連続している
あくまで『同じ』か? ということと 手を使った者が足を使ったものを見て
それが『自分』か? ということ
これは鏡でも例えたことと同じ
>ジョン・ロックは1689年の "An Essay Concerning Human Understanding" の中で自我の同一
性について次のような判断基準を提案している。
>すなわち、もしあなたが過去に何かを考えていたことを記憶しているなら、その考えていた人物とあなたは同一である、というものである。
>ファジィ論理によれば、ロックの提案は、自我の同一性を離散的な値ではなく連続的なものとして扱うことで妥当となることが示された[7]
「自我の同一性の判断基準」、つま自分の判断基準。まぁその一つに過ぎないだろうが。
記憶がつながっていると、それはあらゆる時間上で同一人物である。
君の例だとA「ボールを投げた自分」とC「過去の記憶の自分」は同一「A≡C」。これは異論ないだろ?
でB「ボールをけった自分」とC「過去の記憶の自分」は同一「B≡C」これも異論ないだろ。
じゃあ「A≡C≡B」が成り立つでしょ?ということ。
因みに「自我の同一性を離散的な値」とするとどうなるか?
これはつまり瞬間瞬間の自分は別人だということだとおもう。
毎日目の前にボールを出されても毎日違う行動をとるだろ?だからそこに自己同一性は存在しないということ。
それならば「A≡C」も「B≡C」も成り立たないので当然「B≡C」も成り立たない。
どう?矛盾してるだろ。
性について次のような判断基準を提案している。
>すなわち、もしあなたが過去に何かを考えていたことを記憶しているなら、その考えていた人物とあなたは同一である、というものである。
>ファジィ論理によれば、ロックの提案は、自我の同一性を離散的な値ではなく連続的なものとして扱うことで妥当となることが示された[7]
「自我の同一性の判断基準」、つま自分の判断基準。まぁその一つに過ぎないだろうが。
記憶がつながっていると、それはあらゆる時間上で同一人物である。
君の例だとA「ボールを投げた自分」とC「過去の記憶の自分」は同一「A≡C」。これは異論ないだろ?
でB「ボールをけった自分」とC「過去の記憶の自分」は同一「B≡C」これも異論ないだろ。
じゃあ「A≡C≡B」が成り立つでしょ?ということ。
因みに「自我の同一性を離散的な値」とするとどうなるか?
これはつまり瞬間瞬間の自分は別人だということだとおもう。
毎日目の前にボールを出されても毎日違う行動をとるだろ?だからそこに自己同一性は存在しないということ。
それならば「A≡C」も「B≡C」も成り立たないので当然「B≡C」も成り立たない。
どう?矛盾してるだろ。
1、君の例だとA「ボールを投げた自分」とC「過去の記憶の自分」は同一「A≡C」。これは異論ないだろ?
でB「ボールをけった自分」とC「過去の記憶の自分」は同一「B≡C」これも異論ないだろ。
じゃあ「A≡C≡B」が成り立つでしょ?ということ。
2、因みに「自我の同一性を離散的な値」とするとどうなるか?
これはつまり瞬間瞬間の自分は別人だということだとおもう。
毎日目の前にボールを出されても毎日違う行動をとるだろ?だからそこに自己同一性は存在しないということ。
それならば「A≡C」も「B≡C」も成り立たないので当然「B≡C」も成り立たない。
1の命題と2の命題は同時に成立しない。
「自我の同一性を時間的に連続である。」とすると「A≡B」は成り立つ。
「自我の同一性を時間離散的である。」とすると「A≠B≠C」になる。
でも君はA≡C、B≡Cであるといい、A≠Bである。という。この二つは同時に成立しないんだよ。自我の同一性を連続であるといい、自我同一性を離散的であると、両方の主張を君はしてる。どっちか一つを主張するならそれは納得するよ。
でB「ボールをけった自分」とC「過去の記憶の自分」は同一「B≡C」これも異論ないだろ。
じゃあ「A≡C≡B」が成り立つでしょ?ということ。
2、因みに「自我の同一性を離散的な値」とするとどうなるか?
これはつまり瞬間瞬間の自分は別人だということだとおもう。
毎日目の前にボールを出されても毎日違う行動をとるだろ?だからそこに自己同一性は存在しないということ。
それならば「A≡C」も「B≡C」も成り立たないので当然「B≡C」も成り立たない。
1の命題と2の命題は同時に成立しない。
「自我の同一性を時間的に連続である。」とすると「A≡B」は成り立つ。
「自我の同一性を時間離散的である。」とすると「A≠B≠C」になる。
でも君はA≡C、B≡Cであるといい、A≠Bである。という。この二つは同時に成立しないんだよ。自我の同一性を連続であるといい、自我同一性を離散的であると、両方の主張を君はしてる。どっちか一つを主張するならそれは納得するよ。
重要な間違い
2、因みに「自我の同一性を離散的な値」とするとどうなるか?
これはつまり瞬間瞬間の自分は別人だということだとおもう。
毎日目の前にボールを出されても毎日違う行動をとるだろ?だからそこに自己同一性は存在しないということ。
それならば「A≡C」も「B≡C」も成り立たないので当然「A≡B」も成り立たない。
↑
2、因みに「自我の同一性を離散的な値」とするとどうなるか?
これはつまり瞬間瞬間の自分は別人だということだとおもう。
毎日目の前にボールを出されても毎日違う行動をとるだろ?だからそこに自己同一性は存在しないということ。
それならば「A≡C」も「B≡C」も成り立たないので当然「A≡B」も成り立たない。
↑
>この二つは同時に成立しないんだよ
これすぐ持ち出すけど仮説だよ 仮説wwww 何度も有り得ないっていってるじゃん><
>それならば「A≡C」も「B≡C」も成り立たない
これ可笑しくない? 過去共有部分をCと例えてボールに対してとった行動の違いを述べているのに
何で過去の共有部分においてまで相違発想なわけ??? どの部分での分岐の例えだよw
その例えだと生まれた瞬間の時間双方0スタートの場合でしょ? 蟻でした話で
だからね・・・・一つ一つの単語の意味が可笑しくないかい?
過去は過去だよ現在は現在だよ? 何で現在の相違が過去の相違になってるわけ????
これすぐ持ち出すけど仮説だよ 仮説wwww 何度も有り得ないっていってるじゃん><
>それならば「A≡C」も「B≡C」も成り立たない
これ可笑しくない? 過去共有部分をCと例えてボールに対してとった行動の違いを述べているのに
何で過去の共有部分においてまで相違発想なわけ??? どの部分での分岐の例えだよw
その例えだと生まれた瞬間の時間双方0スタートの場合でしょ? 蟻でした話で
だからね・・・・一つ一つの単語の意味が可笑しくないかい?
過去は過去だよ現在は現在だよ? 何で現在の相違が過去の相違になってるわけ????
削除(by投稿者)
削除(by投稿者)
>これはつまり瞬間瞬間の自分は別人だということだとおもう。
これも出来たとしての仮説だよ 何度も書くけどw 同じ位置に立つことは不可能でもう先にも述べてるけど^^;
このさぁ瞬間瞬間の区切りをどの部分を取り出して見るかで違うでしょ?
過去がで、そのボールに対して行なった行為とそこから未来への時間をDとすると
Cより過去に向けて瞬間を切り出せば当然同じで
D以降未来へ向けて瞬間を切り出せば当然違う
って話だよ? 何で全部同じ発想なの? 私はどんなけ考えてもわからん^^;
これも出来たとしての仮説だよ 何度も書くけどw 同じ位置に立つことは不可能でもう先にも述べてるけど^^;
このさぁ瞬間瞬間の区切りをどの部分を取り出して見るかで違うでしょ?
過去がで、そのボールに対して行なった行為とそこから未来への時間をDとすると
Cより過去に向けて瞬間を切り出せば当然同じで
D以降未来へ向けて瞬間を切り出せば当然違う
って話だよ? 何で全部同じ発想なの? 私はどんなけ考えてもわからん^^;
>>毎日目の前にボールを出されても毎日違う行動をとるだろ?だからそこに自己同一性は存在しないということ。
>同意です。
これに同意するということは、一分後の自分は別人を認めるということだよ。
自己同一性とは自分が自分であるという認識。
毎日の行動に自己同一性が無いとは毎日別人といっているのと同じ。
>同意です。
これに同意するということは、一分後の自分は別人を認めるということだよ。
自己同一性とは自分が自分であるという認識。
毎日の行動に自己同一性が無いとは毎日別人といっているのと同じ。
こんなの相手するんだから精神科医も大変だよな?
まぁ最初の方に書いてるのかもしれんが、現に人はコピーしてるからな。
細胞は毎日死んでて、10年くらいで全く別人になる。
ただし、完コピじゃない。人は成長するからな。
子供を生むのもコピーだわな。それも完コピではない。
なぜ成長するのか?なぜ完コピではないのか?
それは適応して行かなければ生きていけないから。
コピー元である親と全く生き方が変わるように、
自分のコピーも生き方が変われば成長も変わるだろう。
ていうか、人類そのものがコピーじゃん。
細胞は毎日死んでて、10年くらいで全く別人になる。
ただし、完コピじゃない。人は成長するからな。
子供を生むのもコピーだわな。それも完コピではない。
なぜ成長するのか?なぜ完コピではないのか?
それは適応して行かなければ生きていけないから。
コピー元である親と全く生き方が変わるように、
自分のコピーも生き方が変われば成長も変わるだろう。
ていうか、人類そのものがコピーじゃん。
科学というより哲学
コピーが出来上がり2人が覚醒する前までは、周囲の人達はこう思う
どっちでもいい。同じなんだから。
覚醒後、2人は
俺がオリジナルだ!
と目の色を変えて訴える。
そこで周囲の人達は
どっちが本物・オリジナルだったっけ?と慌てだす。
あぁこっちが本物か!
と気付くものの全く同じ
分裂するヒドラに答えがあるかも
コピーが出来上がり2人が覚醒する前までは、周囲の人達はこう思う
どっちでもいい。同じなんだから。
覚醒後、2人は
俺がオリジナルだ!
と目の色を変えて訴える。
そこで周囲の人達は
どっちが本物・オリジナルだったっけ?と慌てだす。
あぁこっちが本物か!
と気付くものの全く同じ
分裂するヒドラに答えがあるかも
アナル拡張師への哀歌
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スレッドタイトル:仮に人間をコピーすることが出来たとして・・・
