意識という言葉は実に様々な意味で使われており、意識という言葉の多義性は、議論や研究の
中でしばしば混乱を引き起こしやすいものとなっている。
それぞれの人がそれぞれの場面で、どういう意味でもって、意識という言葉を使っているの
か、その点について相互了解を持たないまま議論をしていくと、行き違いが発散していくこと
が多い。そうした混乱は、心理学者や神経科学者といった、専門的な肩書きを持つ人々の間で
も普通に見られる。このような問題を避けるため意識と関わる研究分野では、注意深い研究者
は論文や書籍の冒頭で、私が意識という言葉を使うときそれはどういう意味か、といった説明
を予め行うことも少なくない。意識を研究しているそれぞれの科学者が研究している対象は
様々だが(選択的注意のメカニズムや覚醒や麻酔のメカニズム、主観的体験の神経相関物な
ど)、そうした全体を含む最も包括的な意識の定義として暫定的にしばしば使用されるのはア
メリカの哲学者ジョン・サールが採用した定義に基づく次のような定義である[7][8][9][10]。
専門家ですら混乱を引き起こす「意識」について自分なりの定義すら述べず、他人の無理解を
嘆く。
「現象的意識」
(げんしょうてきいしき、英: Phenomenal consciousness)は、意識という言葉に関する区分のひとつで、質的な内容を持った、主観的な体験のこと。現象的意識に含まれる個々の質感のことをクオリアと言う。
つまり意識の領域にクオリアは含まれるということ。
一体どう明確に意識とクオリアを分けて考えているのかが理解不能。
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