>同じようにしようとしても同じには絶対出来ない。
ちょっと理解出来ないというか私がどう捕らえていいのかわからないんだけども
私はこれを肯定してはないよ、あくまで同じ状況を作り出せたとしての仮定ね^^;
>厳密に同じ行動はとらない。なのになぜその人間を同じ人間といえるのか?
あれ? 私はそういうことを踏まえて同じ者ではないと言っているのだけど・・・あれ??
蟻の話でもそう主張したつもりなんだけど^^;;;;
>当然周囲も、本人たちですらコピー、複製の区別はつかないよ?
>区別は出来ても別物ではない。
ここはオリジナルがバックUPされてる事を認識してるかが問題ではなくて
バックUPされてる状態を私は指しています。要するにされている状態では同じ者
正しそれは生命と呼ばれるものじゃなしに単なる記録装置に過ぎないこと
その記録が途切れて『その者』の自我・意識が生まれた時点でオリジナルが存続してようが
消滅してしまうが『別物』という想像
>同じ遺伝子で同じ経験を所有していれば同一人物だろう。
これも蟻で説明したように『同じ』と言う状況
同じ経験を持つ2体 何も経験が無い2体 双方遺伝子的・環境的でも同じ
その時間軸において行動をスタートさせて同じ結果が生まれるか? って話したよね
鏡の話でもあるように同じものと定義するならば状況すらも同じ結果が生まれないといけない
それは先に話した他の方と同じで人格はその周囲の状況や自分の判断で変わってくるもの
でもね そこに『意思』の違いによる同じ結果が生まれないと私は思う
となれば結果が違うのだから当然別物と私は思うわけです。
>親しい人間の行動はある程度想定できるものです。本人と認識していることと、本人とどう違うのか?
>認識できればもはや本人ではないか?
そうだから第三者からすれば過去の共有する記憶とそれから経験することで作られる記憶と
共有してるわけだから入れ替わった事を認識しない限りわからないこと
でもここが重要36で問いかけたようにそこに『確実』にオリジナルが消滅してしまっている事
そしてそのオリジナルの『意思』が複製に無いことだからその部分において『霊的』と言う表現をしたのです所謂、憑依ですね。
返信する