>>29さん
>>30さん 私の想像に付き合ってくれてありがとう
>いや区別は可能だが別人とまで言うのはどうだろう。
これに行く前に これから
>自分をコピーできる技術は夢の技術かどうか?
>別々の固体になってからの経験を共有できるわけではない。これは意見が分かれるのではないだろうか。
これも想像の範囲を超えないのだけど記憶の伝達や海馬に刻むという事が分かっている限り『不可能』ではないかもしれません
正しそれは『記憶』の『記録』であって『意思』ではありません すなわち『記録』した時点までの『記憶』でしかないのですから。
だから、もしその技術が可能と仮定して存在したと仮定したとしても
片方の経験・記憶をコピーし続けている間は単なる記憶装置でしかないのだからです
記憶というのは経験であってその経験を作るのが意思ということ、その記憶のメカニズムをすっとばしている時点でそこに意思が無い
当然と言えば当然なのですが常に上書きされてる状態にそこに『意思』が存在できる事は考えにくいよね。
しかし、ここで注意が必要なのですが30さんの言うところの『共有』は可能かと言う話。
私が書き込んだ内容として付け加えるとあくまで複製・上書きを遮断した状態でそこに意思が存在し初めてそれが物理的生物であれ
機械的であれそれはもう『生命』だろうと思います。
だから共有といのであればそれは出来ないのではなく『出来ます』何故なら遮断する以前の記憶は共有しているのだから。
それ以降の状況判断が必ずしも一致しないだろうという発想です ゲームの話でありましたねこう言うの^^ STEINS;GATEだったけ?
記憶だけを取り出して上書きしたとしても判断は同じにならない 所謂他世界解釈です。
もし過去の自分を見る事が出来た場合(この時点では紛れも無く『自分』)ですが これに記憶の上書きを行なったとして
その時点でもその時代・時間軸においてオリジナルはその経験値を保有していないのだからそれはもう『自分』では無く自分に似た者なのですから
つづき・・・
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