>>63 これで最後というならレスしても仕方ないが一応しとこう。
>じぶん【自分】その人自身。自己。自身。
これは全然答えになってない。「なぜ一生を通して自分という人間を一つの概念で包むことが出来るのか。」の答えになっていない。
>自分の意思で自分が歩んで来た人生を自分で認識出来なくてそれが疑問だというのなら
それはもう科学じゃなくてノイローゼに近いよ
じゃあ科学的に一人の人間を定義してみてよ。
自分とは何か?自分というものを科学的に定義してみたらどうなるか。
君になりに定義してから、そしてコピー問題を語って欲しい。(おそらくどのように定義し
ても問題が生じるはずだが。)
君は「自分」というものすらまともに定義せずに「自分は自分である。」というのを
大前提だと思い込んで話を進めただけ。根幹が定義されてないのに、おっしゃるとおり
その上の議論は何も意味が無い。
この話はただのノイローゼではなく、科学的な問題としてもずっと昔から提唱されてる「意識のハードプロブレム」という問題。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%... http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%A7%... ついでに実験名は忘れたが自分の境界というのも非常の曖昧なものがある。
人は自分の意思で動かしていると思っているが、ある特殊な条件下におくと他人が動かした腕を自分が動かしたと思い出す。実際のところ自己と他者の境界すら曖昧なのです。
でも人間というのは主体性を持ちたがる。何かと自分の意思でしたと思ったほうが、生存戦略上有利に働いたのでしょう。自我も勿論進化の過程で獲得された生物の機能にすぎない。
そして自我を作る記憶も本人の知らないところで書き換えられる。これは虐待裁判などで有名になった話し。
自分という概念は実は非常に危ういものの上に成り立っているのです。
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