>すなわち、もしあなたが過去に何かを考
>えていたことを記憶しているなら、その考えていた人物とあなたは同一である、というもの
>である。その後、哲学者らは同一性問題に関する様々なバリエーションを提案してきた。そ
>のほとんどはブール論理を適用することで生じたものである。ファジィ論理によれば、ロッ
>クの提案は、自我の同一性を離散的な値ではなく連続的なものとして扱うことで妥当となる
>ことが示された[7]
つまり(よく分からんが)ファジィ理論によれば自我の同一性を連続的に扱うのと、「過去の自分と今の自分に記憶的連続性」があれば同一といえるといっている。
これはつまりコピーした自分とオリジナルは双方記憶の連続性を有しているので両方は同一といえるということ。
>脳の破壊を伴うような技法(連続切片化など)では、これを精神の複写と見るのか移動と見
>るのかは難しい問題である。これは、心身問題の哲学について各人がどのような考え方を持
>っているかに依存する、正しい1つの答の無い問題である。
>このような哲学的な問題に関連して、徐々に脳を置き換えていく手法(上述のナノマシンに
>よるものなど)の方が好ましいと考える者もいる。その間意識を失うことがないならば、こ
>れは通常の新陳代謝で脳を構成する分子が常に入れ替わっているのと何ら変わらない。
結果論からすると徐々に置き換わったのと、一気に置き換えたのと何が違うというのか?
徐々に置き換わった場合、一つの自我が誕生し、非破壊的に一気に置き換えた場合2つの自我が誕生する。誕生した自我に結果的に違いが無ければそれは自分なのかコピーなのか?
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