>コピーできる技術は夢の技術かどうかです。
これは
>>31の
>記憶の伝達や海馬に刻むという事が分かっている限り『不可能』ではないかもしれません
>正しそれは『記憶』の『記録』であって『意思』ではありません
が返答のつもりだったのだけど^^;
>例えばこんな話はどうかな。
私が思うにそれは『視点』の違いにしか過ぎないと思いますよ。
何故なら>これで突然の事故によりもたらされる と言う様に片方の情報が遮断されてしまっているからです。
だからそれ以降もし生きていた場合と記憶とまたは体を複製した状態の者を起動させたとしてそれが『本人』『オリジナル』と言えるでしょうか?
オリジナルは間違いなく消滅してしまっているのだから・・・
それを認識してるのは取り巻く環境、すなわちオリジナルと接点を持った者の認識でしかないのです。
その第三者は当然遮断された方が生きていた場合の行動は想定出来るわけもない だから過去の記憶を共有してる部分で
本人と認識してるだけです。過去も遮断された後も接点のある部分で経験を共有していくのだから
でも33さんの言うところの>自分は死んだの?それとも生きてるの? なのですが
私の言う『意識』と言う部分これは霊的発想でもない限り移すまたは複製は不可能だと考えます。
それは先ほど(前レス)語ったようにバックUP状態では自我が存在せず遮断された時点で意思を持てば それは過去の記憶だけを共有した別人だからです。
だからコピーはどこまで行ってもコピーなわけでオリジナルではありません。
鏡を想像して見て下さい 左右反転はこの際無視して あれがバックアップ装置だと考えて見て下さい
寸分狂わぬ同じ行動を複写していますね だけどその者と会話が成立しますか? しませんよね同じ事を複写するだけです。
だから写しているその者が消えて(存在しなくなる)しまえば鏡の中の人物も消えてしまいます。
ただそこまでの情報で復元してもそれはもう別の何か? なのです。
これは単なる感情論になってしまいますが、そのオリジナルと接点を持つものが連続的に認識してる部分で見れば存続して生きている事になるでしよう
でも厳密にはオリジナルは消えてしまってその未来の行動は誰も認識できないという事です。
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