ある時の自分を構成している分子配置を全て記録しそれをそのまま、転写することが出来れば、
おそらく考えていることすら寸分違わぬほどの再現度で自分のコピーを作ることが出来る。
原始分子を支配する法則が分かっていれば、現実の原始を使わずとも、シミュレーション上で、自分を再現
することすら可能になる。つまりもはや実体は必要なく再現できるスペックのコンピュータがあればよいことになる。
少し話はそれたが、自分を転写できたとしてだよ、「自分は今の自分」が2人以上簡単に出来るわけだよ。
それでさ今はオリジナルの方に話を限定するとだよ、コピーは出来ている、自分は間違いなくそっちに(も)いる。
だから自分は死んでもOK。とはならないだろ?
コンピューターの中で永遠に生きれるからといわれてもオリジナルは、俺はコンピューターには入ってない。
そんな世界ちっとも実感できないっていいはるだろう。事実そうだし。
でもコンピュータに入ったほうは間違いなくコンピュータの世界を体感している。
どっちか一人しか生き残れないとなったら間違いなく争いが起きるよね。
これってどうなの?自分はコンピュータに入れたからOKとみなせるのか?それとも入れてないのか?
例え自分が何人できようと、体感できるのは一人なんだからそんな技術あっても意味ないような気がしない?
この問題を考えると宇宙の外はどうなってるのか?という問題の次くらいに頭が混乱するのです。
返信する