仮に人間をコピーすることが出来たとして・・・


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001 2012/09/13(木) 05:34:51 ID:sRD4O2VtIs
ある時の自分を構成している分子配置を全て記録しそれをそのまま、転写することが出来れば、
おそらく考えていることすら寸分違わぬほどの再現度で自分のコピーを作ることが出来る。
原始分子を支配する法則が分かっていれば、現実の原始を使わずとも、シミュレーション上で、自分を再現
することすら可能になる。つまりもはや実体は必要なく再現できるスペックのコンピュータがあればよいことになる。

少し話はそれたが、自分を転写できたとしてだよ、「自分は今の自分」が2人以上簡単に出来るわけだよ。
それでさ今はオリジナルの方に話を限定するとだよ、コピーは出来ている、自分は間違いなくそっちに(も)いる。
だから自分は死んでもOK。とはならないだろ?
コンピューターの中で永遠に生きれるからといわれてもオリジナルは、俺はコンピューターには入ってない。
そんな世界ちっとも実感できないっていいはるだろう。事実そうだし。
でもコンピュータに入ったほうは間違いなくコンピュータの世界を体感している。
どっちか一人しか生き残れないとなったら間違いなく争いが起きるよね。
これってどうなの?自分はコンピュータに入れたからOKとみなせるのか?それとも入れてないのか?
例え自分が何人できようと、体感できるのは一人なんだからそんな技術あっても意味ないような気がしない?
この問題を考えると宇宙の外はどうなってるのか?という問題の次くらいに頭が混乱するのです。

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002 2012/09/13(木) 06:07:44 ID:tmumXrVjEs
( ´∀`)?
自分とそっくりな別人が出来るだけでしょ。
一卵性双生児と同じだよ。

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003 2012/09/13(木) 06:48:04 ID:JDmZ904Dm.
もうすでに、みんなコンピュータの中にいるのさ

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004 2012/09/13(木) 07:56:40 ID:zg..rs.KoM
間違ったらシュレッダーだな

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005 2012/09/13(木) 09:19:39 ID:PTJwd1.4U2
>>1
GANZT読んだんだね。

>例え自分が何人できようと、体感できるのは一人なんだからそんな技術あっても意味ないような気がしない?

ここが君の想像力の限界だから混乱するんだよ。
たとえばコピーを仮想空間上で再現した時、自分の体験をリアルタイムで
アップデート出来るように仮想空間上の自分とミラーリンクする技術があれば良いのさ。
当然ながら、仮想空間上の自分が独自に体験した事があるならそれもフィードバックして
常に「同じ」記憶にする。
そうすると、「体感できるのは一人」ではなくなる。
それで解決だろ?
どちらも自分であり、肉体が削除されてもそれで終わりとはならなくなる。

現実的にはその実現のための記憶容量がまだ夢のまた夢だけど、思考実験的に言えば可能でしょ。
記憶容量と、同期技術だけの問題なんだから。

まあ、倫理的宗教的にSTOPはかかるだろうけど、それとこれとはまた別の話って事で。

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006 2012/09/13(木) 16:43:57 ID:m7YbJfE7xc
同じものが複数ある。
これは論理矛盾以前の言語的矛盾だよ。複数とは、同じものではないことだもの。
たとえば、その複数に同一な人間=同一な自我を代入してみる。
選択肢は3つ
1. 互いに自分が他に存在する事を知らない。
2. 知っている自分と知らない自分がいる
3. 全員が知っている
知らないものどうしでは相互作用は起こらないのだろうか?
さらに、知っている自分たちの間に起こる相互作用はどのように共有できるのか?
共有した後の自我は、それ以前とどのように違うか?
こんなふうに、無限に細分化されていくのは、概念が矛盾を内包しているから。
現実の総量はかわらないのにね。

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007 2012/09/13(木) 21:00:50 ID:RhHsr1Cy1c
自分のコピーなんか要らない。
美女をコピーしまくる。

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008 2012/09/13(木) 23:33:27 ID:sRD4O2VtIs
皆分かってないね。

>>2
今君が言っている自分ってのはどっちの自分?
双方が同じ記憶を有しているのにどっちが自分でどっちが別人?とどうやって判断する?
双子とは話が違うんだよ。

>>5
自分のコピー、人格?というのはそんな、映像記憶(記録)のようにただ単に、アップデートして共有するなんて簡単なものじゃない。
それぞれの経験がそれぞれの固体にフィードバックされてそれぞれの人格?(体)が出来上がる。
例えば野菜をたくさん食べた自分と、肉をたくさん食べた自分がいたとする。
それぞれはもう既に分子レベルでは違ってきているわけだ。それを一緒にするとは一体どういうことなのか?野菜を食べた記憶と肉を食べた記憶、それぞれの記憶(だけ)を有していれば共有成功なのか?それはもはや人格ではなくただのデータベースだよ。
分子レベルで相違が生じているものをどうやって一つに統合?共有するのか?
同時に経験するなんてことは絶対に出来ない!もし仮に同時に経験した記憶を処理できるものがあるとすれば、それはもはや人間ではない。
生物とは常に体の分子が入れ替わり新しいものに更新されてる。それが生きるということ。
自分の行動が常に自分の分子構造にフィードバックされる。
厳密に経験を共有するとはそのいくつものフィードバックを同時に自分に返すということだよ。
でも野菜を食べた自分と肉を食べた自分。その二つを同時にフィードバックなんて出来ないんだよ。出来るのは野菜を食べた後の自分に肉を食べた経験をフィードバックするかその逆しかない。これは同期ではない。
ちなみにガンツはまだ読んでいない。映画も録画したがまだ見てない。w

>>6
何が言いたいのかよく分からないけど、そりゃ物体レベルでは同じものは無い。
どこかしら違いがあるだろう。じゃあ分子レベルでは?
水素分子1と水素分子2、3、4って区別できる?
一体何の情報を元に違いを見つけるのか?

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009 2012/09/14(金) 01:01:26 ID:IkXFmTK39A
>>1
>ある時の自分を構成している分子配置を全て記録しそれをそのまま、転写することが出来れば、
>おそらく考えていることすら寸分違わぬほどの再現度で自分のコピーを作ることが出来る。

もし、それが技術的に可能になったとしても、それはただの肉の塊でピクリとも動かないでしょうね。

どうしてかと言うと、生物は精密な機械ではないという事
分子、原子以外のエネルギー体が必要で
それは、いきなり大人の体には発生(出現)しないという事

アホな学者が例えた雷に打たれた泥人間は生まれないという事です。

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